2020年度前学期 体育学部スポーツトレーニング論B 第11回
バイオメカニクス的考察(慣性モ ーメント・ムチ作用)
第11回の授業では「慣性モーメント」と「運動連鎖(からだのムチ作用)」について扱います。いきなり難しそう、というイメージを持った人、自分の固定概念に負けないようにしてください。記憶しようとすると手強いですが、自分の経験と合わせて理解していこうとすれば、それほど難しいものではありません。
慣性モーメント
以前の授業で「慣性」について学びましたが覚えているでしょうか。どういうことを慣性といったのか、心の中ででも大丈夫なので説明してください。「慣」は「慣れ(なれ)」ですね。慣性の意味をうまく説明できないという人は、慣れるという言葉をどのようなときに使うかを考えてみると覚えやすいかもしれません。皆さんもオンライン授業へと変化があったときには多少戸惑ったかもしれませんが、徐々に慣れてきて、普通に思ってきているのではないでしょうか。むしろ、この状態になれてくると、逆に対面式授業へ参加することがおっくうになってしまう人もいるかもしれません。その状態に慣れるというのは、その状態から変化しない、その状態を続けるといった意味になります。同様に、物体の慣性というのは、物体の運動の状態をキープしようとする性質のことを言います。止まっているものはその場に留まり続けようとするし、動いているものは速度一定の運動をし続けようとするのです。
並進運動と回転運動についても扱いましたね。慣性とは並進運動に対して使う用語で、回転運動では慣性モーメント(慣性能率)という言葉で運動の変化のしにくさ(そのときの運動の状態を維持しようとする)を表します。
座席がクルクル回る椅子を思い浮かべてください。誰も座っていない状態で椅子を回すのと、誰か(それもお相撲さんくらいを想定してください)が座っている椅子とでは、どちらの椅子が回し始め易いでしょうか。興味があれば、実際にやってみてください。回すときに同じ位置を持って回す必要があります。空の椅子か、誰かが座っている椅子かというところだけを変化させるようにしないと、ちゃんとした実験になりません。
どちらが回りにくいか。答えは誰かが座っているほうですね。物理が得意な人は、人が座っているほうが摩擦抵抗が・・・などと、細かい問題に気付くかもしれませんが、ここではあまり細かいことは気にせず、ざっくりといきましょう。しっかりしたベアリングが付いている椅子であれば、空の椅子と誰かが座っている椅子との間にある摩擦については無視できるとして話を進めましょう。誰かが座った椅子のほうが回しにくい、つまり慣性モーメントが大きいと表現します。回りにくさ、です。
慣性モーメントが大きい、つまり回りにくいものの特徴として、先ほどの例からいえば、質量が大きいこと上げられます。質量が大きい(物理が不得意な人は重さが重いと理解しておいてもよいでしょう。実際には質量と重さは違った量ですが。)ものは質量が小さい(重さが軽い)ものに比べて、押したとしても運動の状態を変化させ(止まっているものが動き出す、動いている速度が変化する、動いている方向が変化するなど)にくいですね。質量が大きい椅子のほうが、質量が小さな椅子よりも回しにくい(慣性モーメントが大きい)のです。
慣性モーメントの場合、実は質量が大きいことだけが重要なポイントではなく、回転軸に対する物体の中での質量の分布によって大小が決まってくるといった方が適切です。例を挙げて考えていってみましょう。
小学1年生のケイ君とナオミちゃんがテニスラケットを振っているところを想像してみてください。ケイ君もナオミちゃんも体力的にはほぼ同じ水準だと思ってください。テニスが大好きなナオミちゃんのお母さんは、本格的にテニスをするなら大人用のラケットをと思って、お気に入りのプロが使っているラケットをナオミちゃんに買ってあげました。一方、ケイ君のお母さんはジュニア用のラケットを買ってあげました。大人用のラケットはジュニア用のラケットよりも重くて長いのが普通です。ケイ君とナオミちゃん、体力的も技術的にもほぼ同じ水準だとして、どちらがラケットを素早く振ることができるでしょうか。
答えは明らかですね。ジュニア用のラケット(短くて軽い)を使っているケイ君のほうが素早くラケットを振ることができます。大人用のラケット(長くて重い)を使っているナオミちゃんは、とくにラケットの振り出しで困ってそうですね。ラケットが思うように振れず、スイングした後もラケットを止めることが難しくて、グルグルと体自体が回ってしまいそうです。ナオミちゃんのほう(長くて重い大人用のラケット)が慣性モーメントが大きいのです。適切な重さのラケットにしてあげないと、小さなころから余計な負荷を子どもの体にかけてしまい、けがに結びついたりするので注意が必要です。
今度は野球バットに重りをつけて素振りをするところを思い浮かべてください(バットに重りをつけることは勧められないという研究がありますが、ここではあくまでも慣性モーメントの説明のためにあえてこの例を使います)。この重り、バットのどの位置につけるかによって、バットの振りやすさが変わってきます。バットの重さと重りの重さの合計は変わりません。バットの先端付近に重りをつける場合と、グリップの近くにつけるのとだと、どちらのほうがバットを振りやすいでしょうか。答えはバットの根本のほうに重りをつけた方がバットは振りやすくなります。これも慣性モーメントが関わっており、回転の中心に質量(この場合は重りの重さと考えて差し支えない)が集まっている場合には、慣性モーメントが小さくなり、バットを回転させやすくなります。逆にバットの先端方向に重りの位置を変化させていくと、慣性モーメントも大きくなっていき、バットを回転させることが難しくなってきます。
このように全体の質量が変わらないのに、その質量を回転軸からどのくらいの距離に配置するのかで慣性モーメントが変化し、回りにくくなったり、回りやすくなったりするのです。フィギアスケートのスピンを思い浮かべてください。フィギアスケートの選手たちはものすごいスピードでスピンをしますね。彼らはどのようにスピンのスピードをコントロールしているでしょうか。
スピンの途中で手足の位置を回転軸から離したり、近づけたりすることで、スピンのスピードが速くなったり遅くなったりしているのが分かるでしょうか。誰かがブレーキをかけたり、回したりしていないけれども、手足の位置をコントロールすることで回転スピードが変化していることが分かると思います。回転の軸に対して、手足をどこに置くかで、慣性モーメントを制御し、スピードコントロールをしているのです。一番速くスピンしているのはジャンプの時だと思います。そのときの羽生選手の手足の位置はどこにあったでしょうか。
次に体操競技をみてみましょう。白井健三選手の練習風景の映像です。この映像を慣性モーメントという観点で観察してみましょう。
人間の全身の回転を考えると、ひねり(頭から足先に抜ける回転軸の周りを回る)は足を伸ばし、腕を小さく折りたたむことで回転軸にできるだけ近く集めることができ、慣性モーメントを小さくして高速で回転することができます。ひねりを無視して、前方の宙返りの速度にのみ注目して見てみてください。膝を抱え込むようにすると回転中心の近くに体の 各パーツをまとめることができ、慣性モーメントを小さくすることで、回転を速くすることができます。逆に伸身宙返りの場合には回転軸から離れたところに足があることで、慣性モーメントが大きくなり、回転の速度がゆっくりになります。
ウサイン・ボルト選手の100m走も、慣性モーメントという観点で観察をしてみましょう。各関節が回転運動を起こしていますが、どういうフェーズで各身体部位がどのような位置関係になり慣性モーメントがどのように変化しているでしょうか。
さあ、次は皆さんの種目について慣性モーメントがどのように変化しているか、どのようなフォームをしていくことが慣性モーメントを上手く操って効率的な動きになるのかを考えてみましょう。



運動連鎖(体のムチ作用)
慣性モーメントと関連して、スポーツのパフォーマンスに大きな影響を与える「運動連鎖(体のムチ作用)」を簡単に紹介しましょう。さまざまなスポーツで四肢の末端の速度を最大化させることが求められます。もっと簡単に言うと、野球のバッティングでは、ボールをインパクトする際にバッドのヘッドスピードをできるだけ大きくすることが求められます(ボールインパクト後のボール初速の増加=強いボールを打つことが目的であれば)。ピッチングでもボールをリリースするときの指先の速度を最大化するために多くのウェイトトレーニングや技術トレーニングを行います。テニスやバドミントンでもラケットヘッドの速度を上げる、ゴルフではクラブのヘッドスピードを上げるといったことが求められます。このように末端の速度を増加させるために重要なのが、この運動連鎖なのです。
人間の体は体幹に近いところほど質量が大きくできています。そして末端にいく(体幹→上腕→前腕→手→指)につれて質量が小さくなっていきます。この構造が、体幹部の大きな筋で生み出されたエネルギーを末端に効率よく伝達していくことに貢献しているのです。下の図にあるように、釣り竿を振ったとき、グリップ部分を力強く振ることで、そのエネルギーが竿の末端に伝達され、遠くへ魚釣りの仕掛けを飛ばすことができます。この作用が人の体にもあることによって、末端部分に大きな筋をつける必要がないため、慣性モーメントを小さくすることができ、動きのスピードを犠牲にせずにすみます。もし、指を動かすための筋が手のひら辺りにごっそりついていると、手の重さが大きくなって上肢の動きの素早さに影響を与えてしまいます。人間の体は本当にうまくできていると思います。
このムチ作用モデルには、人間の体(具体的には筋・腱複合体)に備わったバネの働きと、から竿作用が貢献しています。皆さんはから竿自体を知らない場合が多いと思いますので、ブルース・リーのヌンチャク動画を貼っておきました。一本の長い棒を振るよりも、ヌンチャクのように二つの棒をつなげて扱った方が、末端の速度を増加させることができるのです。実際には手で持っているほうを振り出し、あるところでタイミング良く減速させると、末端部分が手元の棒を追い抜いていくように回転をし、結果として末端の速度が増加するようになっています。テニスのサービス動作のグラフにあるように、ボールインパクト時のラケットヘッドスピードを増加させるために、体幹に近いところ(大きな質量の部分)から、徐々にエネルギーが伝達されていくように、少しずつタイミングを遅らせて、末端部分を徐々に加速していくような動きがなされています。今日はバネの働きについては触れず、来週にとっておきたいと思います。




このように、体のムチ作用を有効に使えるような動きを練習することで、レベルの高いスポーツパフォーマンスを発揮できることが期待できます。しなやかな動きをすることで、力尽くでやるのではなく、効率よく少ないエネルギーでより大きな仕事をすることができるようになります。テニスのようなスポーツでは特に、力尽くではなく、効率よく末端(ラケット)の速度を上げてボールをインパクトできるようにすることが求められます。
サッカーのキック、体操競技の鉄棒やその他の種目、バレーボールのジャンプからスパイク動作、新体操の手具の投げ、剣道の打ち込み、柔道の投げなど、ほとんどの種目でこのムチ作用を上手く使えるかどうかが、パフォーマンスに影響していると考えられます。自分のスポーツで、このような動きがどのようなスキル/テクニック、場面で出てくるのか、考えてみましょう。