top of page
top

2020年度前学期 体育学部スポーツトレーニング論B  第7回

非線形学習理論の適用

 先週の授業で、非線形学習理論について学びました。当初の予定では、第7回からバイオメカニクス的考察に入っていくことにしていましたが、非線形学習理論を活用した練習メニュー作りについて触れていないこともあり、少し予定を変更し、バイオメカニクス的考察を後ろへずらして(バイオメカニクスの授業は3年生で準備されていることもあるので)、今回と次回は非線形教授法について、もう少し詳細に解説することにします。

 

 スキルの学習を目指した練習を作るとき、試合でのパフォーマンスを個々のパーツに分解し、それらを個別にドリル練習で繰り返し練習し、統合していくというパターンを思いつく人が多いと思います。この方法は、以前にも話をしたように、テクニック(技術)の練習はしていても、スキル(技能)の練習になっているかどうかは疑問です。みなさんがこれまでに行ってきたスキル練習を思い起こしてください。どのくらいの人が本当の意味でスキル練習をしてきたでしょうか。スキルは必ずしもステップ1→ステップ2→ステップ3と直線的な発達をするとは限らず、途中のステップを飛ばしてステップ3がいきなりできる人もいるでしょう。直線的な学習理論が当てはまらないこともありますから、非線形の学習理論もしっかりと頭に入れておき、その場の状況に応じていろいろ使い分けられるようにしておきましょう。

 

非線形の学習理論をコーチングに活かす

 非線形学習理論を単純な動作を学ぶ際にどう活用するかを考えてみることにします。再度、環境、タスク、アスリートの三角関係を表す図を示しておきましょう(図1)。

非線形学習理論.png

図1 非線形のスキル学習理論

 歩くときに膝が前方に十分に上がらない人(何かのけがや障がいではない)を想像してください。この人が細い道を歩いて行くとその先に小さな障害物(ミニハードルとしましょう)が何個もあります。先へ進むにはこのハードルを越えていかなくてはなりません。膝を上げざるを得なくなります。最初は小さなハードルでしたが、徐々にハードルが高くなっていきます。ハードルの高さが高くなるにしたがって膝も上がるようになってきました。ジャンプして飛び越えていく!という人もいるかもしれませんが、ここはそうひねくれずに・・・。膝を上げろと言わなくても、前方に移動するというタスクを実行するためには、そこにある環境(ハードル)に適応して自然に膝を上げるようになっていく(アスリートの変化)というものでした。直線的な学習理論に基づいた教授法では、「片足で地面をしっかり支えて、反対の脚の膝を高く上げて・・・」と順番に「教えて」いくことになります。非線形の学習理論に基づく教授法では、タスクと環境を設定して、アスリートの変化を導こうとします。

 クラウチングスタートやラグビーのタックルで上半身をすぐに起こしてしまう人を考えてみましょう。「腰を落として、後ろへしっかりと蹴って、上半身を起こさずに、前方向に進もう」と順をおって直線的な教授をすることもできます。また、2人組でスタートラインに手をつかせ、目の前にある高さにゴム紐をはっておいて、ダッシュしてその下をくぐってゴールに数メートル先のゴールにどちらが先に到達するかを競争させるゲームをやったとしても、望んだ動きを身につけることができる可能性があります。2人組はトレーニングをやっているつもりはないかもしれませんね。単純に競争を楽しんでいる間に、望むスキルが暗黙的に学習されてしまうかもしれません。

 掃除に使うホウキを立てて、おでこに乗せて、バランスをとって落とさないようにしながら、チームでレースをすると、サッカーのヘディングにつながる体幹の使い方を身につけるかもしれません。水泳でクロールをしているときに頭の上に何かを置き、泳いでもそれがずれることなく頭の上にあり続けるように泳ぐことで、体の使い方に関する気づきを得ていくかもしれません。タスクと環境をうまく制御することで、人間という複雑なシステムの適応力を活かしてスキル学習を促すことができると考えられています。

 人間は自分が存在する場の環境と求められるタスクの制限に適応するように自分自身を変化させていく。こう考えるのが非線形学習理論であり、学習を導く立場のコーチの視点から制限誘導アプローチ(Constraints-led Approach)と呼びます。「コーチが教える」のではなく、「アスリートが学ぶ」という観点に立ったコーチングです。アスリートセンタードコーチングを実現させるひとつの方法論として、日本体育大学のコーチング学チームが興味を持ち研究と実践をしている理由はここにあります。まだまだ不明な点が多い理論ですが、人間の学習を知れば知るほど、直線的な教授法よりも、非線形の教授法の魅力を感じずにはいられません。なんとなくですが、前者が北風、後者が太陽という感じもします(イソップ物語太陽と北風https://youtu.be/T2EnXoCDQT0)。

 

プレイの重要性

 ここでひとつ面白い研究を紹介しましょう。2009年に発表されたFordらの研究で、イングランドのプレミアリーグチームのユースチームに選ばれたアスリートが、日本で言う小学生期にどのようなサッカー経験をしていたのかを調べたものです(図2)。横軸に活動の種類、縦軸にそれぞれの活動にかけた時間をとっています。3つの線がありますが、エリート、元エリート、レクリエーションの各群を表しています。エリートは小さい頃にユースチームに選抜され、16歳のときにフルタイムプロとしての奨学金を得ることになったアスリート、元エリートは小さい頃からユースチームに選抜されていたものの16歳のときにはフルタイムプロとしての奨学金を得ることができなかったアスリートのことです。元エリートは将来プロとしての成長が見込めないと判断されたということでしょう。レクリエーションと表示されているのは、ユースチームには所属しなかった、サッカーを楽しむレベルのアスリートです。

サッカー活動.png

図2 サッカー活動の種類とスキルレベル(Fordら、2009)

 試合をみると、3つの群でほとんど差がないことが分かります。練習の時間(大人がリードする組織的な練習という意味)にはレクリエーション vs 元エリート+エリートの間に差が見えてきました。元エリート+エリートはユースチームに選ばれた子どもたちです。つまり当時は非常にうまいと評価された子たちです。ユースチームに選ばれた子どもたちは、選ばれなかった子たちに比べて練習時間が多かった、つまり大人によってトレーニングされた子たちだったということです。

 そしてさらに面白いのが、プレイの時間のデータです。ばらつきが非常に大きいものの、元エリート群のプレイはレクリエーション群と変わらず、エリート群のみが非常に高い値を示したのです。練習が大人が主導するものであるのに対し、プレイは本質的に子どもたちが自分たちで主体的に行う活動です。たとえば、練習に集まったときに、みんなと一緒に遊んだり、練習以外の時間で子どもたちだけで集まってサッカーで遊んだりすることです。ばらつきも大きいので絶対的なことは言えませんが、小さい頃に大人が組織的なスポーツ活動でサッカーをたくさん教えれば、ユースチームに選ばれるくらいにうまくなるけれども、大人になってサッカーで伸びていくかどうかは子ども期に大人に教えてもらわず自分たちで主体的にプレイする時間が確保できているかどうかが重要だということをほのめかすデータです。

 このデータから、サッカーのパフォーマンスは、コーチがすべてを教え込むことができるものではなく、自由な発想の中で主体的に子どもたち自身が学び取っていく必要があることが考えられます。つまり、典型的な大人が考えるロジックに基づいたコーチングによる学びだけでなく、非線形学習が重要であると言えます。ここ最近、ずっと言っている還元主義的(細かい要素に分けてトレーニングして、最後に合体させて全体を作ろうとする考え方)なやり方では、トレーニングできない部分があるのだと、コーチが謙虚な気持ちでコーチングに臨む必要があるのです。

スポーツ活動の種類.png

図3 子どものスポーツ活動の種類(Côtéら、2013)

大人が作る練習だけでは足らない

 ジュニア期のスポーツ活動を包括的にまとめてくれた図があるのでそれをみてみましょう(図3)。まず横軸を、そのスポーツ活動が子どもの内的価値によって行われているのか、それとも外的価値によって行われているかという観点でとります。内的価値というのは内発的動機と同等に捉えてください。自分がやりたくてやっているということです。外的価値はその逆で、自分の内側に価値がない、つまり外発的動機での活動と捉えることができます。縦軸には大人と子どもをとっています。上は大人が主導、下は子どもが主導する活動です。

 先ほど出てきたイングランドプレミアリーグのデータでいう練習は左上の象限に該当します。つまり大人が主導して大人が合理的であると考える学習を子どもに提供しているというものです。典型的なアクティビティとして「デリバレット・プラクティス」が紹介されています。デリバレット・プラクティスとは高度に組織化された活動で、努力が必要であり、即座の報酬もなく、内在的な楽しみよりもむしろパフォーマンスを向上させるという目的によって動機づけられることが必要であるとされています(エリクソンら、1993)。エリクソンらの研究では、スキルが求められる業種はエキスパートに達するまでに最低でも10年、あるいは10,000時間のデリバレット・プラクティスが必要であると結論づけています。このような研究データを裏付けから、トップアスリートになるためには競技の早期専門化が必要であるといった発想もでてきましたが、紹介したサッカー選手の例のように、実はそれ以外のものも必要だろうというデータも示されてきました。

 先ほどのプレミアリーグユースのデータで出てきたプレイは、子どもが主導して自分たちの内的価値のために行っているものです。つまり、図3でいえば右下の象限にあたります。子どもたちが創造的に行う学習です。典型的な例としてデリバレット・プレイが挙げられています。デリバレット・プラクティスの対局に位置し、本人たちはほとんど遊びとして行っているものの、そこでの自由な発想に基づく活動から経験するものは、大人が練習として計画的に生み出そうとしてもなかなか難しいものなのでしょう。

 第3象限に位置するのが、子どもが主体的にやるのだけれども、外的価値のために行っているような活動です。大人が作ったプログラムに参加するわけではなく、自分たちで作ったプログラムに参加して、楽しむというよりもむしろパフォーマンスを上げるために自主練のような活動をしている場合のことを指します。

 そして私たちの研究チームでも着目しているのが、主情的学習の象限で、典型的なアクティビティとしてプレイ・プラクティスが挙がっています。プレイ・プラクティスはオーストラリアで開発された方法論で、遊びを使って練習する、練習で遊ぶというもので、学校での体育やその他のスポーツ活動で用いられてきたものです。大人がデザインするけれど、子どもたちがワクワクして取り組んでしまうものといえばわかりやすいでしょうか。ここでのコーチの役割は環境とタスクをデザインして、子どもたちがアクティビティを通してスキルを身につけていく支援をしていくことです。このフレーズ、どこかで聞きましたね。そう、非線形学習理論に基づき、子どもたちの学びを中心においた、コーチによるタスク設定と環境作りを通したコーチングがまさにここに当たるのです。ここの例としてはプレイ・プラクティスしか挙がっていませんが、TGfU(Teaching Games for Understanding)やGame Senseという方法論もあります。

Game Sense

 プレイ・プラクティスがオーストラリアで開発された方法論であることは触れましたが、Game Senseもオーストラリアで開発されたコーチング方法です。Game Senseは、元はといえば、イギリスでドリル中心に展開されていた学校体育をもっと面白く効果的なものにするために開発されたTGfUを学校体育指向からパフォーマンススポーツへと転用したものです。TGfUはイギリスから世界中に広まり、日本においても学校体育の重要な方法論として研究・教育が行われています。特に筑波大学の学校体育の研究グループが積極的に導入していたようです。その一派の多くが今は日体大で教鞭をとっているので、皆さんも聞いたことがあるのではないかと思います。このTGfUがオーストラリアに伝わったとき、国の機関に所属する人が「これは」と目をつけ、TGfUの開発者をイギリスから呼び寄せ、スポーツパフォーマンスを向上させるための新しい方法として、国として方法論をまとめていったという経緯があるそうです。TGfUもGame Senseも開発当初は理論的な裏付けがありませんでした。経験上、このほうがスキルの学習(実際の試合に役立つ学習)効果が高いということに気づいていたという程度だったそうです。しかし、両者ともに古典的な教授法を好む大多数から批判を浴びせられていたそうで、オーストラリアではGame Senseを使ってコーチングしていたコーチが、上司が観察に来た際にはもとのドリル中心の練習に戻してその場をやり過ごしていたというくらいです。それほど、これまでのやり方とは違ったものだったので、市民権を得るまでには時間を要したようです。

 今では、なぜGame Senseがうまくいく方法なのかが、非線形学習理論によって説明することができます。Game Senseにおいてコーチが行うことは、環境とタスクの設定と、アスリートに対する発問です。練習が始まる前に、どのような環境設定をし、タスク設定をするのかを考えに考え抜き、いざ練習が始まると「教える」ことはほとんどせず、アスリートに質問をします。環境とタスクがアスリートに学びを与えてくれるので、コーチはその学びを促進するための働きかけをします。外から見たら、コーチは何もしていないように見えるかもしれません。オーストラリアのコーチが上司が来たときにGame Senseを中断したというのがよく分かります。上司に「コーチングをしていないじゃないか」とクビにされては困ります。

 Game Senseに関する書籍を最初に書いた研究者(Light, 2006)が言っていました。日本のラグビーを一躍有名にした元日本代表ヘッドコーチのエディ・ジョーンズが世界中で一番のGame Senseの使い手であると。エディが日本代表監督になった頃、日体大の世田谷キャンパスに来てもらってセミナーをしたことがあります。今ではちょっと呼んでくることは難しいですね。そのときは、彼のコーチング哲学を聞くこととGame Senseについて聞くことが目的でした。そこで「いつGame Senseを使うのですか?」という我々の質問に対してエディが言ったことが「全部だよ」でした。子どもであれ、日本代表であれ、Game Senseしかあり得ないというくらいの勢いでした。

 テレビ番組等でも「魔法のコーチング」といったものが取り上げられることがありますが、そのほとんどは非線形学習理論で説明することができるでしょう。線形の思考にどっぷりはまっている人から見たら「魔法」に見えるのですが、非線形の人の学びを学んだ人からすれば、ごく当然のことに映ります。学びの主体は学習者であり、その学習者のペースで学習が進んでいかない限り、効果的な学習にはならないのですから。ここでもアスリートセンタードコーチングの重要性が分かります。

 

今日のところはこのあたりでストップしておきます。次週はGame Senseのより具体的な方法を紹介したいと思います。私の得意なボールゲーム系を例にした説明になると思いますが、記録系や芸術系など、どのようなスポーツでも役立つ考え方だと思います。

 

事後課題

今日の事後課題は、テキストを読んでの自分の新しい気づきを書いてもらうことにします。

bottom of page