第2回「コーチング哲学」
- 伊藤雅充

- 2022年9月14日
- 読了時間: 12分
更新日:11月18日
2022年度後学期コーチング学
第2回授業のテーマは「コーチング哲学」です。皆さんの中には既にコーチとしての活動を行っている人もいると思います。皆さんが現役のアスリートである場合は、正式な形でコーチングをした経験はないかもしれませんが、自分が意識しているかどうかは別として、他のアスリートにアドバイスをしたりなど、広い意味でのコーチングを行っているのではないでしょうか。そして何よりも皆さんはコーチングを受けてきた経験は全員にあるのではないかと予測します。今日の話題であるコーチング哲学はもちろんのこと、この授業全体にわたって、「自分にはコーチングの経験がないので分からない」と考えるのではなく、正式なコーチとアスリートの関係以外のさまざまな関係性の中で現れる行為や、アスリートとしての経験も踏まえつつ、自分のこととして考えていきましょう。
用語の定義
この授業を進めるにあたり、頻繁に用いる「コーチング」、「監督・コーチ・指導者」、「アスリート・選手・プレーヤー・競技者」について定義をしておきます。これらの言葉を使ったとき、皆が同じことを思い浮かべていれば問題ありませんが、それぞれがイメージしていることが違ってしまうと、議論がかみ合わない可能性があります。このあとの定義をしっかりと意識するようにしてください。
コーチング
上の記述でも「コーチング」という言葉が何度か出てきました。皆さんは「コーチング」と聞いてどのようなことを思い浮かべるでしょうか。まずはこのコーチング学の授業における「コーチング」を定義しておきたいと思います。
日本のコーチ資格のスタンダードである(財)日本スポーツ協会が発行しているリファレンスブックにはコーチングを次のように説明しています。
「プレーヤーの目標達成に向け、プレーヤーの有能さと人間性を高めていく支援を行っていくプロセスを総称してコーチングと呼び、このプロセスを行う人をコーチと呼ぶ。」
((財)日本スポーツ協会Reference Book, p.4)
2012年から2013年にかけて立て続けに指導者の体罰やハラスメントの問題が各所で大きく取り上げられ、文部科学省も看過できない問題として「スポーツ指導者の資質能力向上のための有識者会議(タスクフォース)」を設置し、コーチングのあり方についての報告書をまとめました。その報告書にはコーチングを次のように表現しています。
「競技者やチームを育成し、目標達成のために最大限のサポートをすることが指導者の役割であり、そのようなサポート活動全体がコーチングである」
(文部科学省スポーツ指導者の資質能力向上のための有識者会議(タスクフォース))
もうひとつ、コーチングに関する国際的な組織である国際コーチングエクセレンス評議会(International Council for Coaching Excellence:ICCE)が発行している国際スポーツコーチング枠組み(International Sports Coaching Framework)に、どのように記載されているかもチェックしてみましょう。
Coaching is a process of guided improvement and development in a single sport and at identifiable stages of development. (ICCE et al., 2013)
コーチングは育成の各段階において向上と成長を導くプロセスである。
いかがでしょうか。それぞれ違った定義がされているように見えますが、本質的には類似したことが語られています。注目すべきは、コーチング対象の成長を導き、支援するプロセス全体のことをコーチングと呼んでいることでしょう。
この点について、スポーツを専門的に学んでいる皆さんはしっかりと認識しておいてもらいたいと思います。世の中では「コーチング」を別の意味で使っている場合があるので、その差をしっかりと説明できるようにしてください。それはコーチング(Coaching)をティーチング(Teaching)の反意語として位置づける定義です。これはビジネスコーチングの定義であり、スポーツに直接適用はできません。たとえば、ビジネス本であるコーチング・マネジメント(伊藤守、2002)ではコーチングのことが次のように定義されています。
「コーチングとは、戦略的なコミュニケーション・スキルのひとつであり、コーチとは、会話を広げ、会話を促進する、コミュニケーションのファシリテーターである」
コーチングはコミュニケーション・スキルのひとつであると定義されています。コーチング対象者の成長を支援するプロセス全体を表すことをコーチングと呼んでいるスポーツのコーチングは、ビジネス・コーチングの定義よりもかなり大きな範囲を扱うものなのです。
また、ある組織開発の書籍(入門 組織開発 活き活きと働ける職場をつくる、中村和彦、2015)ではコーチングを次のように説明しています。
「コーチングとは、上司が部下に指示して教える(ティーチング)のではなく、部下が主体的に考え、実行するのを引き出す関わり方のこと」
この定義では「引き出す関わり方」のこととして、コミュニケーション・スキルのひとつという定義よりも少し広い意味で捉えていますが、依然としてティーチングの反意語として捉えられていることが明白です。
この考え方がスポーツにも入ってきて、「ティーチングじゃなくてコーチングが必要なんだ」という人がかなり多くいます。しかし、考えてみてください。コーチがスポーツ場面でティーチングしている行為はコーチすること(コーチング)ではないでしょうか。ビジネスで用いるのにはティーチングの反意語としてのコーチングで問題ありません。しかし、スポーツの場合は、コーチがアスリートの成長を支援している行為全てがコーチングと表現されるべきなのです。
結論として、私たちはこの授業において、最初に示した日本スポーツ協会の定義を用いて議論を展開していきます。
監督・コーチ・指導者
この授業の中では「コーチ」という言葉が頻繁に使われます。コーチという言葉を聞いたとき、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。過去の授業の中でも、多くの学生が、コーチと監督を異なるものとして認識していることが多いことに気づきました。コーチと聞くと、まず思い浮かぶのが部長や監督ではなく、コーチ、つまりアシスタントコーチについての話をしているように感じるようです。
この授業で「コーチ」という場合、単にアシスタントコーチだけを指すのではなく、監督、あるいは部長なども含め、指導的立場にあるひとのことをいっていると捉えてください。指導者といってもよいと思いますが、指導者には国の指導者といった別の意味も指してしまう可能性があるため、コーチという表現を主に使っていきたいと思います。
アスリート・選手・プレーヤー・競技者
コーチングを受ける人のことを何と呼ぶのが一番心地よいでしょうか。選手という言葉がもっとも親しみあるかもしれませんが、選手には「選ばれた人」というニュアンスがあります。例えばたくさんの部員の中から選ばれて試合に出る人のことを選手と呼んだりすることもあります。この授業では「アスリート・センタード・コーチング」について学んでいくことになりますが、「選ぶ」主体は多くの場合がコーチであることを考えると、選手という言葉を使うときには注意が必要だと言えます。アスリートと競技者はほぼ同じ意味で使われているように思いますが、競技者といった方が「競技スポーツ」をしている、勝利に向けて競っているというニュアンスが強く表れるように思います。日本スポーツ協会ではプレーヤーという呼び方をよく使います。スポーツをプレイする人という意味でほとんどの人を含む言葉として用いています。しかし、英語圏でプレーヤー(Player)という単語を使うと、それはボールゲーム等をプレーする人を表し、陸上競技などを行う人を含みません。英語圏ではプレーヤーよりもアスリート(athlete)のほうが広い概念のようです。
コーチングを受ける人のことは、このように様々な呼び方ができますが、授業の中ではあまり区別せずに使っていきたいと思っています。区別せずとも特に困ったことにはなりそうにないというのがその理由です。もし、気になったら「今のはどういう意味で○○を使ったのですか?」と聞いてください。
コーチング哲学
これからコーチング哲学について考えていきます。最初に次のアクティビティを行ってみましょう。既にコーチとしての活動を行っている人は自分自身について考えてください。まだ、コーチとしての活動を行ったことがない人は、自分のコーチ(現在のコーチでもよいですし、過去のコーチでもよいので特定の人を思い浮かべてください)について考えてみましょう。
アクティビティ
下表と同じ表を手元に用意しましょう。
下表の「状況」に書かれている場面を思い起こしてください。
その状況のときに、あなたがどのような行動をとるか、あるいは発言をするかを「言動」の欄に書き込んでください。
なぜそのような言動をとるのか、その理由を考えて「理由」の欄に書き込みましょう。
できるだけ多くの状況についてとる言動と理由を書き込んでください。先に行動だけを書き込んでから理由を考えてもかまいません。
このアクティビティは簡単ではありませんね。単純に見えますが、自分が無意識にやっていることの理由を明確に述べようとすると、かなり苦労します。
このアクティビティをおこなう理由は何でしょうか。コーチングにおいて、それぞれの言動の理由が説明できることはとても重要です。コーチングは社会的活動であり、コーチが社会的影響力を無視して、何でも好きなことをやることはできません。アスリートに対してはもちろんのこと、アスリートの保護者やチームオーナー、ファン、協会などに対する説明責任を負っていることを忘れてはなりません。あなたがアスリートであったとしても同じことが言えます。学生としても同じです。あなたの言動には社会に対する説明責任が伴います。コーチであれアスリートであれ、学生の頃から説明責任を意識して言動の選択をしていくようにしましょう。
次に記入した言動と理由を縦にみていってみましょう。言動と理由には一貫性があるでしょうか。もちろん、時と場合によって適切な言動は変わってくることは十分にあり得ます。相手が誰かも重要でしょうし、それまでの経緯も判断に影響を与えることは容易に想像できます。しかし、あなた、あるいはあなたのコーチの言動が行き当たりばったりの感情にまかせたものであったとしたら、アスリートやその他の関係者から信頼を得ることは難しくなるでしょう。コーチとしての説明責任を果たしていくためにも、一貫した言動をとっていく必要がありますが、その手助けとなるのが、自分自身が本当に大切にしている「価値」を明確にし、行動指針につながる「コーチング哲学」を明確にしておくことです。もし、表に書き込んだ言動やその理由を見直したとき、一貫性に欠けると思ったとしたら、それはコーチング哲学がはっきりとしていないということを意味していると考えられます。
コーチング哲学
コーチングの際の行動の指針となる考え方であり、行動の背景にある目標
では、これからコーチング哲学を言葉として表現することに挑戦してみましょう。まずは、自分のコーチ(過去のコーチでもよいし、現在のコーチでもよい)のコーチング哲学を言葉にしてみましょう。とはいえ、いきなり文章にすることは難しいので、いくつかの例を見てみることにしましょう。
コーチング哲学の例(日本スポーツ協会公認スポーツ指導者資格制度共通Ⅲワークブック2020Ver1.1より引用)
[行動の指針となる考え方]
「コーチングでは教えられる側を主体に考えるようにする」(落合博満『コーチング』69頁)
「運命をプレーヤー自身で切り開かせるようにする」(フィル・ジャクソン『イレブンリングス』25頁)
「コーチは自ら積極的に教えず、プレーヤーが乞うたときには教える」(落合博満『コーチング』18-19頁)
「すべてを教えるのではなく大部分を伝え、最後の部分は自分で考えて理解させるようにする」(羽生善治『大局観』89-91頁)
「選手一人ひとりがイマジネーションを持つだけではなく、チームとして組織として、どうしたいかという目的と戦略を原因で共有したうえで、練習やプレーの中にクリエイティブなアイデアを見つけ、現実化する構想力を養っていくようにする」(岩出雅之『常勝のプリンシプル』114頁)
「いついかなるときでも柔軟であるようにする」(マイク・シャシェフスキー『コーチKのバスケットボール勝利哲学』21頁)
「指導法や練習方法で間違ったと思ったら、迷わずに修正する」(加藤廣志『日本一勝ち続けた男の勝利哲学』154頁)
「短期的および長期的な目標に見合ったものにして、選手にそれぞれ異なる量の注目を与える」(ジョン・ライル『コーチング戦略』32-33頁)
[行動の背景にある目標]
「自分がなることのできるまさに最高の状態になる」(ジョン・ウッデン『育てる技術』143頁)
「プレーヤーもコーチ自身も幸福になれるようなコーチングをする」
「自律したプレーヤーを育成することを目指す」
さあ、次は皆さんが自分の現在、あるいは過去のコーチのコーチング哲学を言葉にする番です。自分のコーチは何を大切にし(価値)、どのようなコーチング哲学をもってコーチングをしている(いた)のでしょうか。
私のコーチのコーチング哲学
次に、自分自身のこととして考えてみましょう。既にコーチとしての活動を行っている人はコーチング哲学、アスリートとして活動している人はアスリート哲学、コーチでもアスリートでもない人は学生哲学、あるいは将来の職や親となったときのことを考えて〇〇哲学、父親哲学、母親哲学を考えてもかまいません。自分の行動指針となる〇〇哲学を文字で表現してみましょう。
私の(コーチング)哲学
コーチング哲学は自分の言動を一貫したものにしてくれるものであると述べましたが、逆に自分の言動を縛り、考え方を必要以上に強固なものにしてしまい、よりよいコーチになっていくことを妨げてしまうことも考えられます。コーチングは社会的活動であるということを先に指摘しました。社会の変化や、コーチングを行う文脈(その場が持つ特徴)によってコーチング哲学も修正をしていく必要があります。コーチング哲学を行動指針として持っておくと同時に、もっとよいコーチング哲学を探し求める態度でいることが重要です。この点で考えれば、コーチング哲学を文字として書き残しておくことには、自分の考え方の変遷を振り返り、必要に応じて修正ができるというメリットもあります。まずは今のコーチング哲学を書き出し、それを常にアップデートしていきましょう。
