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第3回「アスリート・センタード・コーチング」

2022年度後学期コーチング学


 みなさん、こんにちは。コーチング学授業の第3回目を始めましょう。今日のテーマは「アスリート・センタード・コーチング」です。今日の授業のアウトカム、つまり到達目標は、

  • 自らが書き出したコーチング哲学が導き出された背景について説明ができる

  • アスリート・センタード・コーチングの基本的な理論的背景について説明できる

と設定して学習を進めていきます。


自己認識

 前回の授業で、コーチング哲学を言葉として表現してみることを行いました。その際に、自分が大切にしている価値が何なのかについて考えてみることを勧めました。コーチという立場であろうがなかろうが、自分が大切にしている価値を意識することは、自分の行動を一貫したものにするのに役立ちます。

 皆さんが本当に大切にしている価値は、今皆さんが「これだ」と口にしているものではない可能性もあります。皆さんは、自分が意識していない、無意識の前提認識に操られているかもしれません。たとえば、「アスリートが主体的に考え、積極的に新しいことに挑戦し、成功や失敗を含む全ての経験から学習して、挑戦し続ける」ことが大切だと標榜し、練習中はしきりに「おい、考えて練習しろ!」と口癖のように言っているコーチがいるとします。よく観察してみると、練習メニューは全てコーチが考え、練習中はコーチが一つひとつ指示的な声かけをし、失敗したときには自分で考えろと声をかけています。このコーチは、アスリートが自分で考えて主体的に取り組むことが必要と理解し説明をするけれども、本人も気付いていない「自分が教えてやらないとアスリートは自分で気付くことはできない。自分の思うようにアスリートをコントロールしたい。自分が良いコーチとして見られたい。」といった無意識の前提認識によって操られている可能性もあります。

 このコーチが説明責任を果たすためには、標榜している内容と、実際の行動を一致させることが必要です。しかし、行動が無意識の前提認識によって導かれている限り、言行一致させることは極めて難しいと言えるでしょう。もし、標榜している内容が自分のありたい姿だとすれば、無意識の前提認識をなんとかして顕在化させて意識下に置き、時間をかけて修正していく必要があります。

 みなさんも自分自身の行動について考えてみて下さい。たとえば、「教員になりたい」「救急救命士になりたい」「起業して世の中の役に立つ仕事をしたい」「大金持ちになりたい」という達成目標があるかもしれません。あるいは「一人ひとりの生徒に寄り添う教員になる」「従業員の幸福を最大にする経営がしたい」といったパフォーマンス目標を持っている人もいるでしょう。今、皆さんがとっている行動は、自分が標榜しているものに直結するものでしょうか。電車の中での振る舞い、桜新町駅から世田谷キャンパスまでの移動の際の振る舞い、授業を受ける姿勢、練習への取り組み方、友人への配慮、ネット上の匿名での発言など、さまざまな場面を考えてみて下さい。もしかすると、「自分さえよければよい、自分が得したい、自分は楽をしたい、できる人と思われたい、他者を卑しめることで自分が優位に感じたい」といった無意識の前提認識があったりしないでしょうか。そのような考えがあってはいけないというのではなく、あったとしてもそれをどう自分で処理して、どういう振る舞いをしていくのかを考えていくことが重要です。

 このように、自分自身を様々な側面において成長させていくためには自分自身を適切に理解することが必要になってきます。自分自身を客観的に、第三者的な見地から見つめ、自分自身のことをより理解する行為のことを「自己認識」と呼びます。自己認識と一言でいっても、その方法や考え方には多くのものがあります。そのいくつかはこの授業でも「コーチとしての成長」に関する回で扱うことになりますが、ここでは自分自身とは何者かということに意識を向けることが、自分を成長させるためには重要だということを認識しておいてください。


価値基盤型コーチング

 第2回の授業で、自分自身のコーチング哲学を言葉として表現してみた際に、自分は何を大切にしているのだろうか、と考えたことと思います。ここではそこからさらに踏み込んで考えてもらいたいと思います。

 まず、自分が書いたコーチング哲学をもとにアクティビティをスタートさせましょう。前回のアクティビティで書き出したコーチング哲学をここに再度書いてみましょう。


 私のコーチング哲学

                                           


 次に、このコーチング哲学を導き出した理由を考えていきます。自分に「なぜ、私はこのコーチング哲学にしたのだろうか」と問いかけて下さい。もう少し、限定的に、順に質問をしていきます。あなたはそのコーチング哲学によって導かれる言動(言葉と行動の両方)によって、アスリートらにどのようになって欲しいと願ってそのようなコーチング哲学を設定したのでしょうか。


 私のコーチング哲学のなぜ(アスリートにどのようになって欲しいと願っているのか)

                                           


 さらに「なぜ」を自分に繰り返し投げかけていきましょう。あなたはなぜアスリートにそのようになって欲しいと願っているのでしょうか。そうなることでアスリートにはどのようなメリットがあるのでしょうか。この時点でピンときて自分の考えを書ける人は書いてください。かなり抽象的、概念的で答えることが難しい質問だと思います。誰かがあなたの書いたものを評価して合格・不合格を決めるようなものではありませんので、自分の現時点での素直な考えを表現してください。


 私のコーチング哲学のなぜ(なぜアスリートにそうなって欲しいのか)

                                           


 次に考えるのは、アスリートがそうなることが、あなた自身にとってどのような意義があるのかです。あなたのコーチング哲学に基づくコーチングによって、アスリートがあなたが望む人になっていったとします。それはあなたにとってどのような意味があるのでしょうか。あなたのコーチング哲学によるコーチングを行うことによって、あなたは何を得るのでしょうか。あなたにとっての、あなたのコーチング哲学の目的は何なのでしょうか。


 私のコーチング哲学のなぜ(私自身にとっての意義)

                                           


 もしかすると、利己的だと思われる内容が出てくるかもしれません。倫理的にどうなのかというものが出てくるかもしれません。しかし、もしそのようなものが出てきていたとしたら、このアクティビティに、本当に真剣に取り組んだということだと思います。出てきたものに対する評価はおいておき、自分の考え方を客観的な視点から見直してみることが重要なのです。そこが適切にできていなければ、評価が適切にできるとは思えません。今後の授業で様々なものの見方を学んでいき、その都度評価をしてみてください。


 さあ、あと少し、掘り下げていってみましょう。次に考えるのは、どのようにして、あなた自身の目的を持つに至ったのかということです。人の考え方は、その人がしてきた経験の影響を強く受けます。どのような家庭に育ったのか、どのような友人に囲まれていたのか、どのような学校に通ったのか、どのような地域だったのか、どのようなコーチに指導をうけたのかなど、とても多くの要素が複雑に絡み合って皆さんの経験を作り出しています。

 皆さんのコーチング哲学に至った自分の経験を考えてみてください(このアクティビティによって心的ストレスが過大となる場合には行う必要はありません)。自分が嬉しくて涙した瞬間、悲しくて泣いてしまった時、怒りの感情が止まらなかった時、とっても楽しかった瞬間をいろいろ思い起こしてください。普段は思い出さない日常的な出来事にも思いを馳せてみてください。あなたがなぜ、このコーチング哲学を書き出したのか、自分自身にとっての目標を生み出してきた経験はどのようなものだったのかが理解できてきたでしょうか。

 そっと下に示した言葉のリストに目を通してみてください。皆さんの経験したもののキーワードがこの中にあればピックアップしてみてください。


愛、いたわり、意欲、栄光、思いやり、穏和、金、覚悟、感謝、寛大、寛容、気概、共感、競争心、協力、規律、技術、希望、協調性、勤勉、敬意、決意、謙虚、謙遜、敬虔、権力、公正、幸福、財産、自己犠牲、自信、自制心、柔軟性、正直、情熱、思慮、勝利、親切、辛抱強さ、信仰、信念、信頼、真理、正義、誠実、責任、節度、善意、想像力、尊敬、楽しさ、努力、知恵、知識、チームワーク、忠誠、挑戦、慎み、美、忍耐、無執着、名誉、名声、目的、優しさ、勇気、友好、喜び、楽、理想、倫理、礼儀、和


 自分が大切にしている価値を知ることは、他者理解の第一歩となります。自分の思考や行動のベースとなっている価値を知ることで、ある事象に出くわしたときになぜそのような気持ちになるのか、考えが思い浮かぶのかを理解し、自分の行動を制御することにつながります。自分の大切にしている価値を考えてみることで、他者が大切にしている価値を考えるようになることもあります。人間は全員が違った価値観を持っていて当然です。違っていることを前提に、他者とコミュニケーションをとるのと、相手も自分と同じように考えるはずだという前提でコミュニケーションをとるのとでは、結果に大きな差が生まれるでしょう。違っていることを前提にコミュニケーションをとることで、少なくとも感情的にならず、以前よりも冷静なコミュニケーションがとれるようになります。「彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」(孫子)です。

 あなたがコーチならば、アスリートの価値を聞いてみましょう。あなたの価値についても語りましょう。同じ価値を持っている必要はありません。あくまでも相互理解のためです。共通の目標をたてて、ともに努力していくチームを組むわけですから、それぞれの価値を認めつつ、共通の価値を見いだしていくことができれば、その共通の価値のまわりでさまざまな会話が展開できるでしょう。このように価値を基盤にしてコーチングを行っていくやり方を価値基盤型(Value-based)コーチングと呼びます。

 共通の価値を明確にすることができれば、具体的な目標の設定、行動規範の設定において、より実効性あるものを作成することができるでしょう。何をする、どうやるという話を展開する際に、「なぜこれをするのか」「私たちの共通の価値とどのような関係があるのか」を検討することで、コーチとアスリート、その他のスタッフらの意思統一がしやすくなります。その結果、チームの構成員の内在化した動機による自律した行動を引き出すことが容易になってきます。なぜならば、共通の価値は、構成員が共通に大切にしているものであり、それがウソでなければその人の思考や行動を司る大きな理由になるからです。「なぜ」を問うことを大切にしましょう。


巨人の肩に乗る

 価値基盤型コーチングについて考えてきましたが、ここから新しい概念としてアスリート・センタード・コーチングを紹介します。皆さんがこれまでに経験してきたことは、皆さんにとってかけがえのない学習機会でした。ただ、その経験にのみ頼っていては、とても視野の狭い考え方しかできなくなってしまいます。

 万有引力の法則をまとめたアイザック・ニュートンが友人と交わした書簡の中で、「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。」という言葉を残しています。自身の業績は、これまでの先人たちの知識の上に構築されたものであり、自分だけで成し遂げられたものではない、という意味と捉えることができます。現在の社会のめざましい発展は、文字が発明され、先人の知識や知恵が書き残されることによって、自分一人の人生では経験できないことまで知ることができたことが大きな要因だと考えられます。ドイツの初代宰相ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ということばを残しています。自分の経験だけなく、科学や他者の意見、歴史などから学び、よりよい意思決定ができるようにしていくことが重要です。

 皆さんは大学の全ての授業を通して、巨人の肩に乗ろうとしている訳ですが、どのくらいの大きさの巨人の肩に乗れるかは皆さん次第でもあります。コーチング学の授業でも、コーチングを受けた経験がある皆さんが陥りがちな、自分がコーチングを受けた経験だけに頼ったコーチングしかできないという状況をなんとか打破できるように、皆さんの巨人づくりに貢献したいと思います。コーチングに関する巨人として、日本体育大学のコーチング学チームが推奨するアスリート・センタード・コーチングという概念を皆さんに紹介していきます。


好きこそものの上手なれ

 小学校や中学校で受けた授業科目を思い出してください。国語、算数(数学)、理科、社会、英語、図画工作、保健体育、家庭、道徳、総合など、さまざまなものがあります。それぞれの授業の風景を心に思い浮かべ、どのような感情を持ちながらそれぞれの授業を受けていたかを考えてみてください。そして、その科目がどれくらい好きだったかを考え、科目を「好きな順番」に並べてみてください。



 次に、それぞれの科目の成績について考え、成績の順に並べてみましょう。まずは上の表の※1に「成績順」、※2に「教科名」を書き入れてください。学年末にもらう成績通知表の成績そのもの(たとえば5段階評価の5や4)ではなく、科目を順番に並べます。成績が5段階評価でオール5だった人も、すべての科目を5の成績の中で自分の記憶をたどって、最もテストの成績等が良かったものから順に並べ、表を完成させましょう。


 好きな順の数値と成績順の数値の間にはどのような関係が見られるでしょうか。全員がぴったりということはないでしょうが、おおむね、好きな順の数値と成績順の数値との間には正の相関関係が見えてくるのではないでしょうか。「好きこそものの上手なれ」という表現があるように、みなさんが好きで取り組んでいた科目ほど、成績も良い傾向にあると思います。もしかすると、成績が良いから好きに感じていたのかもしれません。どちらが原因で、どちらが結果かということははっきりとここで言うことはできませんが、すくなくとも両者に関係がありそうだということはわかると思います。

 子どもの頃もそうでしょうし、今でもそうだと思いますが、どうも気が進まない授業に関しては、何度も教室の時計に目が行き、「まだ〇〇時か〜」と思ったり、「まだあれから3分しか経ってないの!?」と思ったことでしょう。逆に、大好きでのめり込んでしまう授業であれば、内容に夢中になって「えっ?もう終わり?」と時間が矢のように過ぎていくことを経験したのではないでしょうか。


動機

 何かに取り組もうとする際の心のエネルギーのことをモチベーション、あるいは動機と言います。みなさんはこのコーチングの授業に対してどの程度の動機を持っていますか。とても高いモチベーションを持って取り組んでいる人もいれば、気持ちがのらないなと思いながらやっている人もいると思います。いろいろな人がいて当たり前です。

 スポーツの場面でもモチベーションについては頻繁に話題に挙がります。「やる気」という言葉の方がもっと一般的かもしれません。モチベーションが「ある」「ない」という考え方もありますが、それ以外にもモチベーションには「種類」があるという考え方もあります。そのモチベーションが自分の内側から沸き起こってきたものなのか、それとも外部からのものなのかという考え方です。

 自分の内側から沸き起こって行動を起こすような場合を、「内発的動機(intrinsic motivation)」による行動と呼びます。みなさんが遊びに行く場合などは、ほとんどが内発的動機によるものではないでしょうか。逆に誰か他の人から言われて、あるいは提案されて行動を起こすような動機のことを「外発的動機」と呼びます。

 この外発的動機はさらにいくつかの種類に分類されています。最も「やらされている」度合いの強いものから「外的調整・取り入れ的調整・同一化的調整・統合的調整」と分類されています。外的調整は自分はやりたくないのにやらされている状態です。罰によって動かされるというのもここに入る場合が多いでしょう。明らかな例を考えれば、銃で脅されて何かをさせられるということが挙げられます。そこから少しだけでも自分にとってのメリットを見つけている状況が取り入れ的調整です。授業の課題に対して、単位を取るためにはやった方がいいなと思っている場合もここに分類されるでしょう。他者に認められたくて、重い腰を上げるなどというのもここに当てはまります。自分の中から沸き起こってくる動機へと近づいていく(動機が内在化する)と同一化的調整という分類がされます。宿題が出たときに「これは自分の成長に必要だ」と思って取り組んでいる生徒はこのような状態になっているといえます。自分の目的と同一性を見いだしてきています。そして、外発的動機の中で最も内発的動機に近い状態が統合的調整と言われる状態です。教師から宿題が提示されたときに、子どもたちが「うわ、面白そう!早くやりたいな!」と思うような状態です。自分自身の興味関心と統合された状態ですね。


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 みなさんに実施してもらっていた科目の好きな順と成績の順の話と自己決定理論を組み合わせて考えてみましょう。自己決定理論は「好きこそものの上手なれ」をサポートする科学的エビデンスですね。自己決定理論の説明をしているときに宿題の話を少し出しました。教員から宿題がでて、生徒が全員ちゃんと宿題を提出したとしても、その取り組み方には違いがあります。生徒がどのような動機でその宿題に取り組むかで、その内容をどのくらい学ぶかが違ってきます。教師として重要なポイントは、子どもたちに宿題を「やらせる」ことではなく、いかに「やりたい」と思ってもらえるような宿題の出し方をするのか、または、授業時間中にどのようにして子どもたちの「やりたい」という気持ちを起こさせるのかということになるでしょう。スポーツコーチングについても同じ事がいえ、コーチが自信あるメニューを提供したとしても、アスリートらが内在化された動機で取り組めるようなものになっておらず、「やらされている」状態で練習を進めたとすれば、得られる効果は限定的なものになってしまいます。


3つの基本的な心理的欲求

 自己決定理論に関して、もうひとつみなさんに関連する理論を紹介しておく必要があります。これは自己決定理論のサブ理論として扱われているものですが、なぜ自己決定していくことが重要なのかを説明する理論としてとても重要なものです。これは、基本的な心理的欲求を説明するもので、もともと人間が心理的に求めているものが3つあるというものです。その3つとは有能感(Competence)、自律感(Autonomy)、関係性(Relatedness)への欲求(Needs)です。

 有能感とは自分にはできる、力があるといった自己肯定感に通ずる認識で、自分には何かをする力があると感じたい欲求を人間が有しているというものです。たしかに、自分が何か失敗をしたときに心から喜ぶ人はそういません。スポーツで勝利を目指して頑張ったり、もっと何かができるようになりたいという向上心も、有能感への欲求から生まれてくるものかもしれません。進化の過程において、有能感への欲求は生存競争を生き抜くためにも重要だったのかもしれませんね。

 自律感とは、自分で自分の行動をコントロールできているという認識で、もともと人間は他者からコントロールされるのではなく、自分のことを自分でコントロールしたいという欲求があると考えられています。音では自分で立つという意味の「自立」と同じに聞こえるので、間違えないようにしなくてはなりません。人間の歴史をみても、他者にコントロールされている人達は、しばしば支配者からの解放を求めて戦いを起こしています。人間が自律感への欲求を基本的な心理的欲求として有しているからこそ、お互いがそれを侵害しないように気を付けていく必要があるのだと思います。

 関係性への欲求とは、他者とつながっていたい、良好な社会的関係を構築、維持したいと無意識のうちにも思っているということです。このクラスの中で、仲間はずれにされて嬉しい人はいるでしょうか。私たち人間は社会の中で生活をしており、人と人との関係性を無視して生きていくことはできません。新型コロナウィルス感染拡大の影響を受けて社会的距離を保つ(Social Distancing)の必要性が叫ばれていましたが、感染防止のためには物理的に距離をとることが必要であっても、社会から切り離すという意味ではありません。むしろ、社会的な距離を保つ対策が行われている間、オンライン上でのコミュニケーションが発展し、これまで以上に多くの人とつながった人もいるのではないでしょうか。もちろん、逆に孤立をしてしまう人もいるはずです。いずれにせよ、我々人間にとって、関係性を無視して一人で生きていくことは非現実的です。


自律感に働きかける

 この3つの基本的な心理的欲求を説明しましたが、これらはそれぞれが独立しているものではなく、お互いに関係し合っています。なかでも自律感への欲求はスポーツコーチングを考える際にとても重要な意味を持ちます。

 自己決定理論でみたように、自分で決める、つまり動機が内在化した状態は、自律感への欲求が満たされた状態にあると考えられます。逆に外発的動機、中でも外的調整という外部から最もコントロールされている状態では自律感への欲求は満たされません。もしかすると、アスリートが外的調整の状態になっているとき、コーチは自分が全てをコントロールしているという自らの欲求を満たしているのかもしれませんが、アスリートは逆の状態になってしまっています。

 自律感への欲求を満たすようなコーチングをすることができれば、心理的に前向きな行動を促すことにつながるでしょう。練習メニューやその他のタスクをコーチが与えていたとしても、アスリートの動機がより内在化された状態になっていれば、そのタスクへの取り組みを前向きに行うでしょうし、練習に対する意識も高まり、より高いパフォーマンスを獲得するようになることが期待できます。

 「内発的動機によるスポーツ実践が重要である」という意見は正しいと思います。しかし、その考えにもとづき、アスリートが自分で全てを決めてやることを選択し、結果としてコーチとしての働きができていない、つまり「放任」になっている場合がみられることが多々あるように思います。コーチの役割は、べつにアスリートに好き勝手させることではなく、コーチが与える、つまりアスリートにとってみれば外発的動機によって行動を起こしているかもしれませんが、内発的動機に近い状態(動機が内在化した状態)で取り組めているかどうかのほうが重要なのです。第2回で触れたようにティーチングではなくコーチングなんだという、ビジネスコーチングの定義をスポーツにそのまま持ち込むと痛い目をみます。教えるときにはしっかり教えつつも、アスリートの動機が外的調整として行動を起こすのではなく、理想は統合的調整、あるいは同一化的調整、悪くとも取り入れ的調整で実施できるようにすることが重要です。もちろん、常に動機の内在化を意識しつつ、自分のコーチングの仕方を工夫し続けることが必要です。

 自律感への欲求を満たすようなコーチングをすることができれば、有能感への欲求も得やすいことは一目瞭然です。より有能感への欲求を満たすためにはコーチの働きかけの仕方が鍵になってきます。成功したかどうか、勝ったか負けたかによって有能かどうかを評価するような思考に育ててしまうと、有能感を得ることが難しくなります。ひどい場合には、自分が成功しない、有能感が得られないと思った時には競技から撤退するという選択をとることもあるでしょう。試合中に言い訳を探し始めたり、勝ちを諦めたりするようになるかもしれません。数多くの研究が示しているように、過程(プロセス)に対して有能感を感じられるような接し方をしていく必要があります。勝ったか負けたか、成功したか失敗したかを客観的に評価することは重要ですが、そこに過度な意識をもっていくのではなく、プロセスそのものを前向きに、建設的に評価し、フィードバックしていくように心がけましょう。

 自律感の欲求を満たし、適切な有能感への欲求の満たし方を促すことができれば、関係性に対して肯定的な影響が期待できます。自律感と有能感を感じ、自分を肯定的に捉えられれば、他者に対する自己表現にも自ずと自信が生まれてくるでしょう。もちろん、自己表現が適切な関係性構築につながるためには、適切な自己認識が必要にもなります。自律感を満たす過程において自由の相互承認が意識されたやり方ができ、有能感を得る過程において、結果よりもプロセスに焦点を置き、自己改善に興味を持つ成長的なマインドセットを持つことができれば、関係性構築の場面にあっても過剰な自己表現は行わないでしょうし、他者を認めるということが自然にでき、良好な関係性構築につながっていくでしょう。

 有能感・自律感・関係性への欲求はお互いに関係し合っていることは既に述べました。しかし、中でも自律感への欲求にコーチが働きかけをすることが、他の2つの欲求を満たすことがより容易になってくることが期待できるのです。


アスリートファーストではなくアスリートセンタード

 みなさんは「アスリートファースト」という言葉を聞いたことがあるでしょう。実は、日体大のコーチング学チームでは、アスリートファーストではなく、アスリートセンタードなコーチングを推奨しています。

 アスリートファーストとはどういう意味でしょうか。アスリートファーストであればコーチはセカンドでしょうか。コーチがセカンドならコーチの家族は何番目ですか。誰かのために他の誰かが犠牲になるという考え方に依拠したスポーツは健全と言えるでしょうか。だれかが一番で誰かが二番という考え自体が適切ではありません。

 コーチも自分の人生を充実したものにしていく権利を持っています。アスリートを最優先に考えるために、コーチは自分の家族を放っておくことが適切でしょうか。もしアスリートがそのような考えを持っているとしたら、なんとエゴイスティックなのでしょう。アスリートが特別などということはありません。コーチにも育ててくれた親や多くの関係者の思いがあり、今コーチを支えている家族の思いもあります。アスリートがアスリートファーストを口にするなら、アスリートはコーチファーストな発想でコーチを支えるべきです。それができないアスリートがアスリートファーストを語るのは単なるワガママです。

 ここまで言うと、アスリートファーストが完全に間違った発想のように思えるかもしれません。しかし、これは本来のアスリートファーストの意味が正しく解釈されていないからこそ起こっていることだと思います。上の議論ではアスリートとそれ以外の人の関係性の中で、ファースト、セカンドという話を展開しました。実は、この比較自体が適切ではありません。アスリートファーストの本来の意味は、「アスリートファースト・ウィニングセカンド」という文脈の中で語られるべきものなのです。勝ち負けよりもアスリートの人間的成長を重視すべきであるということです。とかく、アスリートと誰かとの比較の中でファーストという言葉が使われがちですが、日本体育大学でコーチング学を学んだ人として、アスリートファーストという言葉を使うときには、必ずアスリートファースト・ウィニングセカンドという文脈の中でしか使わないようにしましょう。誰かが一番なのではなく、お互いのことを大切にしながらコーチングする、競技するという思いを込めて、日本体育大学のコーチング学チームでは「アスリートセンタードコーチング」を提唱しています(日本スポーツ協会は2019年よりプレーヤーズ・センタードという表現を使っています)。授業全体を見渡すと、全てがこの概念の周りで展開されていることに気づくと思います。


内発的動機がアスリートファースト?

 もうひとつ、別の視点からアスリートファーストという言葉が使われる文脈を考えてみます。多くの人が「アスリートファースト」を使うときに、無意識のうちに意味しているのが、外発的動機による活動ではなく、アスリートの内発的動機によるスポーツ活動が大切であるということだと思います。多くの指導的立場にある人が頭を悩まされるのもこの解釈で、「アスリートファーストでコーチングしなくてはならないから、外発的動機で動かすようなコーチングをしてはならない」と思って身動きがとれなくなってしまっているのではないでしょうか。

 自己決定理論の図をもう一度見直し、外発的動機の中の分類に気を配ってみてください。今話題にしていることを悩んでいる人は、外発的動機を外発的動機の中の外的調整のみとして捉えていないでしょうか。アスリートに対して、コーチからさまざまな指示やアドバイス、メニューを与えたとしても、アスリートがその指示やアドバイス、メニューをどのように受け取り、どのような動機でそれらを実施するかは、そのアスリートによって異なってきます。あるアスリートは脅されてやらされている(外的調整)と感じているかもしれませんし、別のアスリートはやりたくてたまらない(統合的調整)かもしれません。

 コーチとして、先輩として指示やアドバイス、メニューを与えることが悪いことではありません。受け取る側がどう捉えるかが重要であり、やらされている状態にならないようなコミュニケーションの取り方、普段からの人間関係の構築の仕方などを意識していかないといけません。コーチは指示や提案、質問、委譲、見守りなど、さまざまなアプローチを使って、アスリートの目標達成を支援していくことが必要です(このアプローチは後の授業で扱います)。ティーチングではなくコーチングというスポーツにおいてナンセンスな考え方に囚われることなく、思い切ってティーチングしてかまいません。ただ、日本体育大学のコーチング学チームでは、これをティーチングとは呼びません。「指示」と呼んだ方が、実際にやっていることを適切に表しています。その指示がアスリートの統合的調整による動機になっていれば、それでよいのです。表面的なことに囚われずに、本質的なところに意識を向けてください。


コーチ駆動型アスリートセンタードコーチング

 自己決定理論をもとに考えれば、何事もアスリートが自分で計画し実行することが望ましいと考えることができます。自律感をアスリートが感じるためには、自分の行うことを自分で計画することが好ましいと言えるわけですから当然です。

 実際、アスリートが自分で全てを考え、実践をしていったとき、どのような結果が得られるでしょうか。コーチも考えつかなかった革新的な素晴らしい結果が得られるかもしれませんが、高い目標を達成するには十分な取り組みが行えていない場合も少なくないと思われます。特にアスリートの年齢が低い場合に、このことが当てはまるかもしれません。これが誘惑となってコーチが全てを仕切り、アスリートたちをコントロールしようとしてしまう場合があるのです。コーチの「教えてやらねば」という親切心がそうさせている場合もあるでしょうし、本心では自分の評判が気になっていることもあるでしょう。

 コーチがどのような関わり方をするのが効果的かという問いに答えるのに、ヴィゴツキーがいう「発達の最近接領域(Zone of proximal development: ZPD)」が役に立ちます。アスリートが一人、あるいは自分たちでできる部分もたくさんあります。しかし、自分だけでは到達できないけれども、だれか、あるいは何か他の物の支援を得ることで到達できる領域があります。この領域のことをZPDと呼び、手助けとなる人のことをより知識のある他者(More Knowledgeable Other: MKO)と呼んでいます。コーチはアスリートの全てをコントロールするのではなく、自分で様々な経験をさせつつも、アスリート個人だけでは作り出せないような経験を作り出し、経験をより質の高いものにしていくことが求められると言えます。

 時と場合(文脈)によってどのように展開していくかは異なりますが、コーチングを効率的に進めていくために必要なのが「コーチ駆動型アスリートセンタードコーチング」であると考えられます。コーチがMKOとして、これまでに蓄積した知恵を最大限に活用しつつも、行為の主体であるアスリートが主体的に活動することができるコーチングを行っていくというやり方です。コーチは、アスリートに足りない部分があるとみたときに、それを強制的に修正させるのではなく、少しでも内在化された動機によって自らが解決していけるようなやり方を考えていくべきでしょう。ときには指示することも必要です。

 コーチとアスリートの関係を考えていくと一目瞭然ですが、競技力向上はコーチとアスリートの両者の強みを持ち寄って共同作業として行っていくものです。アスリートも主体的に取り組む必要があります。より知識や経験があるコーチの力をチームとして活用していくことも必要です。ただし、コーチはアスリートの意見を聞くことを忘れてはなりません。なぜなら、目標がコーチとアスリートの間で共有されているとすれば、両者の当事者意識が必須であり、特にパフォーマンス発揮の当事者であるアスリートの感覚や意見が反映されない取り組みは失敗する確率が高まるからです。アスリートも、自分の競技力向上に対して責任を持つ必要がありますから、全てをコーチに任せきりにするのではなく、自分の意見を反映させるように主張をしなくてはなりません。

 コーチングの専門家であるコーチには、このようなプロフェッショナルな議論をファシリテートする能力が求められます。コーチいう立場にいる以上、チームやアスリート個人のパフォーマンスに責任を持たなくてはなりません。プロコーチであれば、シーズンの成績が低迷すれば解雇される可能性があります。よりよいパフォーマンスを発揮していくためにコーチングのプロセス全体をマネジメントしていく責任もコーチは負っています。ただ、パフォーマンスを発揮するのは最終的にはアスリートであることをしっかりと認識したうえで、コーチとアスリートがチームとして、ともに共通の目標達成に向けて協力していくことが必要なのです。


競技力向上と人間的成長

 プロコーチが雇用される明確な目的は競技力の向上である場合がほとんどです。アマチュアであったとしても、競技力向上と成績は大きな評価の観点になってくるでしょう。中学校や高等学校の運動部活動においても競技力の向上が求められる場合が非常に多いと思います。

 それと同時に、スポーツを人間的成長のツールとして用い、より豊かな人生を送ることができるトレーニングの場であるといった意見も多く聞かれます。ときに、競技力向上か人間的成長かという二元論的な議論が行われることもあります。とくに若年層のコーチングを行っている指導者からは、競技力向上に対する否定的な意見を聞くことが多々あります。みなさんに質問です。競技力向上と人間的成長は矛盾するものでしょうか。

 競技力向上と人間的成長を、相容れないもの、あるいは反義語のように考えている人もいますし、逆に一致するものとして議論する人もいます。実際にはこの2つはお互いに関係するものの、別物として考えていく必要があります。スポーツをやれば人間的成長につながるかといえばそうとも言えません。スポーツを使って、ずるいことを教えることもできます。「審判に見つからなければファールじゃないんだ」と教えるコーチは、警察に見つからなければ法律違反をしても良いと教えているようなものです。体罰を用いるコーチは、アスリートに対して、問題解決には暴力的な方法がよいと教えているともいえます。

 競技力向上自体は悪でも善でもなく、ニュートラルなものです。科学・技術の発展と同じようなものでしょう。それにどのような意味を持たせるかは、それに関わる人次第です。ダイナマイトを発明する、原子力を発見するといった科学・技術の発展自体に善悪はなく、ダイナマイトを平和的に使うのか、それとも人殺しの道具として使うのかは使う人間側の問題です。原子力についても、それを使うか使わないか、どのように使うのかという判断は使う側の人間の問題であって原子力そのものが善悪という訳ではありません。スポーツをどういう意味で使っていくのかは、コーチが重要な役割を果たしていると言えるのです。

 スポーツを使って世の中をより良い方向へ導いていきたいという思いを持って、それができる方法で競技力向上に関わっていくことができればよいわけであって、勝利に向かって最大限の努力をすること自体は何ら悪いことはありません。競技力向上をするかどうかが問題ではなく、子どもやアスリートに関わる大人の問題なのです。

 ポジティブに考えれば、スポーツ活動を通して、子どもやアスリートの人間的成長も十分に促すことができます。たとえば、一方的に教え込むのではなく、質問を投げかけて考える時間を確保したり、子どもたち同士で助け合う時間を作ったりすることで、子どもやアスリートの人間的成長を支援することができます。コーチがどのようなリーダーシップを発揮するかで、子どもやアスリートたちの人としての未来が変わってきます。しっかりとした考えを持つコーチがコーチング活動を通して、子どもやアスリートたちの思考や行動に肯定的な影響を与えていくやり方も研究されてきています。リーダーシップについては、後の授業で扱う予定にしていますので、そこも楽しみにしていてください。


 

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