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第4回「セーフスポーツを実現させるコーチング」



 みなさん、こんにちは。第4回の授業を始めましょう。今回のテーマは「セーフスポーツを実現させるコーチング」です。これは、コーチングを行う上で最も根本的なテーマであり、アスリート・センタード・コーチングの実践においても欠かせないものです。前回の最後に触れたとおり、スポーツ自体は善でも悪でもなく、それを実践する人間、特にコーチの考え方やそこから生まれる行動がスポーツの意味づけをしていくことになります。今回の学修を通して、スポーツの目的や倫理観、好ましい環境の整備などについて考えていくことにしましょう。


個としての価値観と社会

 第2回および第3回の授業で、自己認識を通して、自らが大切にしている価値を顕在化させることが重要であると学びました。チームとして活動している場合には自分の価値観だけでなく、他の人たちの価値観も大切にしつつ、チームとして大切にする共有価値を見いだし、その共有価値に基づく価値基盤型コーチング(Value-based Coaching)を行っていくことが求められると述べました。

 それぞれが持つ価値観は、それぞれが持つ色眼鏡、あるいはフィルターだと言い換えることができます。目の前に同じ風景が広がっていたとしても、私たちはそれぞれの色眼鏡、フィルターを通してそれを見ているため、そこにある風景がどのように見えているか(解釈するか)は人それぞれです。

 それぞれの価値観によって、何が課題として認識され、何が課題でないとして見過ごされるのかが違ってきます。もう、これは仕方ない部分ですね。みんな違った人間で、考え方も人間の数だけありますから、倫理的考察を行っていく際には、それぞれの人が違ってよいという考え方を基盤にしてやっていかないと、さまざまな課題を解決していくことはできません。自分の価値観が全てではないと常に自分に言い聞かせるようにしましょう。そして、まずはさまざまな価値観を受け入れるようにしてください。ただ、誤解しないで欲しいのですが、他者の意見を受け入れることは必要でも、別に合意する必要はありません。「あなたはそう思うのですね。なるほど。でも、私は違う意見を持っています。」「なるほど。そういう意見もあるのですね。勉強になります。」のようにお互いを認め合うことが重要です。

 他者の感じ方や価値観、考え方を認める必要はありますが、同時に社会としてのルールを守ったり、モラル(社会通念)を意識することはとても重要です。無人島に一人で生きているならば、自分の価値観だけで生きていけるのかもしれませんが、実際には私たちは他者とともに社会生活を営んでいます。自分のルールで他者を縛ることは避けなくてはなりません。社会の中の自分をしっかりと意識するようにしましょう。

 個と社会との関係性についてのあるべき姿は、「自由の相互承認」という言葉でうまく言い表すことができると思います。あなたにはあなたの自由を主張する権利があります。あなたの思いを実現させる自由があります。それと同時にあなたの周りの人にも同じ権利があります。もし、あなたの主張が、他者の犠牲を前提にしたものであれば、それはあなたがエゴイスティック(利己的)であるに過ぎません。同様に他の人があなたの自由を奪う形で自分の望みを叶えようとしたら、あなたはどう思うでしょうか。自分がされて嫌なことを相手にもしないことは当たり前ですが、自分がされても嫌でないことを相手がいやがるかもしれないという考え方も身につけていって欲しいと思います。

 お互いが自由の相互承認を前提に議論を展開していければ、自分のこれまでの前提認識(当たり前に思っていたこと)を乗り越え、みんながより高いレベルの思考に至ることができるでしょう。オープンマインド、柔軟な思考、複眼的思考によって、スポーツコーチングに関わる課題について考えていきましょう。


コーチングの土台としてのセーフスポーツ

 安全・安心なスポーツ環境の構築は、スポーツを実施する際にクリアすべき事柄であると考えられます。安全・安心が確保されていないスポーツ環境は、アスリートにとって有害となる可能性が非常に高くなります。場合によってはケガのリスクを高めるでしょうし、最悪の場合は死につながる可能性もあります。また、物理的な側面だけでなく、心理的側面からも安全・安心を考えていくことが求められます。コーチの暴力や暴言におびえながらスポーツをすることで、心に傷を負い、スポーツから撤退するアスリートも少なくありません。アスリートに対してよりよいスポーツ実践の場を提供することが求められるコーチにとって、安全・安心の確保は競技力向上を実現させることよりも優先させなくてはならないことです。

 2020年7月、国際人権団体であるヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が日本のスポーツにおける虐待に関するレポートを世界に向けて公開しました。この中で、「日本では、子どもがスポーツのなかで、暴力等の虐待を経験することがあまりにも多い。その結果、あまりに多くの子どもにとって、スポーツが痛みや恐怖、苦痛をもたらす経験となってしまっている」と述べられています。そして、「政府は、スポーツの指導方法としてのあらゆる形態の虐待を明示的に禁止するとともに、スポーツにおける子どもの虐待に対応する独立した専門機関として「日本セーフスポーツセンター」(仮称)を設立するべきだ。」とも述べています。今日の授業のテーマにも含まれているセーフスポーツという言葉を初めて聞いた人が多いのではないかと想像します。セーフスポーツの概念はまだ日本では発達しているとは言いがたい現状があると思います。

 カナダコーチング協会によれば、「セーフスポーツとは、全ての人がポジティブで健康的な充実したスポーツ経験を得られるような環境を創造、発展、維持していくために、私たち全員が担うべき責任である。セーフスポーツ環境とは、スポーツに関わる全てのステークホルダーが悪質な行為を認識・報告し、常に全ての人の幸福、安全、権利を優先させる環境である。(safe sport refers to our collective responsibility to create, foster and preserve sport environments that ensure positive, healthy and fulfilling experiences for all individuals. A safe sport environment is one in which all sport stakeholders recognize and report acts of maltreatment and prioritize the welfare, safety and rights of every person at all times.)」とされています。セーフスポーツはコーチからアスリートに向けた虐待行為(暴力や性的虐待行為等)だけでなく、コーチやレフリー、保護者、観客ら、全てのステークホルダーの安全・安心をお互いが守り、スポーツのインテグリティー(高潔性、あるいは品格と訳されることが多い)を高めていくことを念頭においた概念であることに注目してください。

 コーチはセーフスポーツの旗振り役となることが期待されます。人権や人間の幸福に関する理解を深め、自分の認識が誤っていた場合にはそれを改めていくことが、これまでにどのような行為をしてきたかよりも重要であると思います。日本体育大学でコーチング学を学ぶ皆さんは、常に学ぶ姿勢をもち、セーフスポーツをより高いレベルで実現させることに貢献する人材に育っていって欲しいと思います。そのためにも、このあと、日本の様々な事例から学ぶとともに、海外、特にコーチ育成に関して世界的にも先端的な取り組みを行っているカナダコーチング協会(Coaching Association of Canada: CAC)が示しているセーフスポーツを実現させる観点を学んでいくことにしましょう。


悪質な行為

 スポーツにおける悪質な行為とはどのようなものでしょうか。悪質な行為であると加害者が意図している場合もありますが、加害者は悪質な行為であると認識していない場合もあります。先述のように、それぞれの価値観によって何が悪質な行為と認識されるかが異なってきます。暴力行為によって処分を受けたコーチがよく口にする言葉として、「行き過ぎた厳しい指導だった」というものがあります。2020年9月に兵庫県宝塚市で起こった出来事をみてみましょう。この出来事に関する記事の一部を引用します。


兵庫県宝塚市の教育委員会によりますと、逮捕された上野教諭は先月24日、冷蔵庫からアイスクリームがなくなっていることに気付き、翌日の練習前、部員全員を集め問いただしたということです。このうち1年生2人が食べたことを認め、謝罪しましたが、激高し、1人には背負い投げなどの投げ技や寝技を繰り返して失神させ、全治3か月の骨を折る大けがをさせたほか、もう1人の生徒にもけさ固めなどの寝技を繰り返しかけ、首などにけがをさせました。

(中略)

市教育委員会によりますと、上野教諭はこれまでに体罰で3回処分を受けていて、このうち平成25年には、指導に従わなかった生徒に頭突きをして鼻の骨を折るけがをさせたとして減給の懲戒処分を受けています。これまでの教育委員会の聴き取りに対し「アイスクリームを勝手に食べたことに感情的になって指導が必要だと思った。ただ、行き過ぎた厳しい指導だった」と事実を認めているということです。


 この事例をCACが示した悪質な行為の定義に照らし合わせてみてみたいと思います。まずはCACの定義を確認しましょう。


  • 悪質な行為とは、故意に危害を加える行為、あるいは危害を加える可能性のある行為であり、事故によるものは含まない。

  • 悪質な行為の判断には加害者の意図は考慮されない。その行為が有害となる可能性があるかどうかが重要な観点である。


 この定義によると、故意による行為なのか、事故であるかが大きな分岐点であることが分かります。「指導が必要だと思った」という言い分から、故意に危害を加えようとしたものではないと主張していると読み取れます。しかし、故意によるものでなかったとしても危害を加えてしまう可能性は十分にあります。どれだけの注意を払っていたとしても、事故は起こりえますが、この場合は、偶発的な事故であったとは到底考えられません。ケガをさせてやろうと本人は思っていなかったかもしれませんが、当然、柔道部の指導者としてその行為の結果がケガとしてあらわれる可能性を知らない訳はなく、未必の故意と判断されても不思議ではありません。

 指導をどのように捉えているのかも重要な議論となり得ます。この指導者は、「行き過ぎた厳しい指導だった」と処分される時になって初めて気付いたように見えます。つまり、問題行動を起こした時、この指導者にとっては悪質な行為ではなく、必要な指導だと思っていたということです。そして、「行き過ぎた厳しい指導だった」という表現から見えてくるのは、今でも「指導」だと思っているということで、非常に危険な価値観であるといえます。これは指導などではなく、単なる暴力、虐待であることを認識する必要があります。暴力を振るえば刑事罰を受けるのは当然のことでしょう。


パワー関係

 悪質な行為が起こる背景には、加害者と被害者の間のパワー関係(あるいは上下関係)が関わっている場合が少なくありません。コーチは本人が意識しようがしまいが、パワー関係の上位にいる可能性が高くなります。パワー関係が発生する場合をチェックしましょう。

  1. 知識や卓越性

    より知識を多く有していたり、スポーツのパフォーマンスが優れているといったことがパワーの不均衡を生み出すことがある。

  2. リソースへのアクセス

    情報リソースへのアクセスが可能な人と、それを持たない人の間にはパワーの不均衡が生まれることがある。

  3. 意思決定する立場

    意思決定をする役割や立場にある人は、そうでない人よりも大きなパワーを持つことがある。

  4. 評判・威信

    評判のよい人、他者からの信望の厚い人は、より大きなパワーを持つことがある。

  5. 年齢・学年

    年功序列の意識が強い文脈では、年齢や学年が上の人ほど、より大きなパワーを持つことが多い。


 1〜4はCACが挙げたものですが、日本の場合には儒教の影響もあり、5に示したように、年上、あるいは学年が上の人が無条件にパワーを持ちがちになることも意識しておかなくてはなりません。無意識のうちにできがちなパワーの不均衡に気付かないでいると、知らず知らずのうちにパワー関係の上位にいる人が悪質な行為の加害者となってしまう可能性があります。それがパワー関係の下位にいる人の人権や幸福を脅かすことのないよう、そして、自らも加害者となってしまわないようにしましょう。

 日本体育大学においても、学年間の上下関係がパフォーマンスに悪影響を及ぼしているケースは少なくないのではないでしょうか。学年、あるいは年齢によってパワーの不均衡が起こり、パワー関係の下位にいる者が不利益を被るような体制があるとすれば、全力をあげてその構図を書き換えるべきです。全ての人がお互いを尊敬し、お互いの力を借りながら、自分の競技力を高めていくことが必要であるにも関わらず、社会的に通用しないパワーの不均衡を悪用した構図を維持しようとする人がいたとすれば、セーフスポーツを脅かす存在に他なりません。

 上級生は自分の個人的な用事のために下級生を使用人のように使う権利はありません。上級生はチームのルールという名の下に、夜中に下級生を集合させて説教するような権利はありません。下級生が授業で学ぶ権利を上級生が奪うようなこともあってはなりません。上級生がパワー関係の上位にいるのであれば、下級生をいたわり、よい上級生になれるように自らがロールモデルとなってよい行いを見せることが重要です。上級生だからといって偉そうにするだけの人は、下級生から尊敬されないでしょう。もし、下級生に対して不適切な振る舞いをしている上級生がいたとしたら、同級生がその振る舞いを改めさせるように働きかける必要があります。

 もちろん、下級生から上級生に対する悪質な行為も許されません。同級生の間でも許されません。日本体育大学はスポーツを売りにしている大学だからこそ、セーフスポーツを日本でどこよりも早く実現させる必要があります。そのためには皆さん一人ひとりがセーフスポーツの概念をしっかりと理解し、適切な行動をとっていく必要があります。もし、悪質な行為を経験したり、見たり、聞いたりしたら、迷わず報告をしなくてはなりません。加害者が大学の教職員であれ、アスレティックデパートメントのスポーツ専門職であれ、学友会講師であれ、外部指導者であれ、先輩であれ、後輩であれ関係ありません。日本体育大学はセーフスポーツを実現させなくてはならないのです。

体罰・暴力問題

 2012年12月に大阪で悲しい出来事がありました。高校バスケ部キャプテンだった17歳の少年が、暴力を含むコーチの指導を苦に自殺しました。この出来事は社会問題として大きくマスメディアでも取り上げられていたので、皆さんも記憶にあるでしょう。

 この事案が冷めやらぬ翌年1月末、女子柔道ナショナルチームでの暴力やパワーハラスメント問題が明らかとなったこともあり、文部科学省は「スポーツ指導者の資質能力向上のための有識者会議(タスクフォース)」を立ち上げ、「私たちは未来から『スポーツ』を託されている ―新しい時代にふさわしいコーチングー」を報告書としてまとめました。その前文に、「この事態を我が国のスポーツ史上最大の危機と捉え、『スポーツ指導から暴力を一掃する』」という文部科学大臣の言葉があります。

 当時の各種新聞による世論調査では、およそ6割の人が、体罰が必要である、必要である場合があると答えていたことから分かるように、日本人の教育観の中に体罰が強く根付いていたことが読み取れます。

 ここでは、体罰・暴力問題に対する3つの資料を紹介します。ひとつは日本スポーツ協会、日本オリンピック委員会、日本障害者スポーツ協会、全国高等学校体育連盟、日本中学校体育連盟が連盟で宣言した「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」、そして大阪市教育委員会がだした「『体罰・暴力行為を許さない開かれた学校づくりのために』~体罰・暴力行為の防止及び発生時の対応に関する指針・児童生徒の問題行動への対応に関する指針~」、最後にアメリカ心理学会の体罰に関する声明です。


スポーツ界における暴力行為根絶宣言

【はじめに】本宣言は、スポーツ界における暴力行為が大きな社会問題となっている今日、スポーツの意義や価値を再確認するとともに、我が国におけるスポーツ界から暴力行為を根絶するという強固な意志を表明するものである。

 スポーツは私たち人類が生み出した貴重な文化である。それは自発的な運動の楽しみを基調とし、障がいの有無や年齢、男女の違いを超えて、人々が運動の喜びを分かち合い、感動を共有し、絆を深めることを可能にする。さらに、次代を担う青少年の生きる力を育むとともに、他者への思いやりや協同精神、公正さや規律を尊ぶ人格を形成する。

 殴る、蹴る、突き飛ばすなどの身体的制裁、言葉や態度による人格の否定、脅迫、威圧、いじめや嫌がらせ、さらに、セクシュアルハラスメントなど、これらの暴力行為は、スポーツの価値を否定し、私たちのスポーツそのものを危機にさらす。フェアプレーの精神やヒューマニティーの尊重を根幹とするスポーツの価値とそれらを否定する暴力とは、互いに相いれないものである。暴力行為はたとえどのような理由であれ、それ自体許されないものであり、スポーツのあらゆる場から根絶されなければならない。

 しかしながら、極めて残念なことではあるが、我が国のスポーツ界においては、暴力行為が根絶されているとは言い難い現実がある。女子柔道界における指導者による選手への暴力行為が顕在化し、また、学校における運動部活動の場でも、指導者によって暴力行為を受けた高校生が自ら命を絶つという痛ましい事件が起こった。勝利を追求し過ぎる余り、暴力行為を厳しい指導として正当化するような誤った考えは、自発的かつ主体的な営みであるスポーツとその価値に相反するものである。

 今こそ、スポーツ界は、スポーツの本質的な意義や価値に立ち返り、スポーツの品位とスポーツ界への信頼を回復するため、ここに、あらゆる暴力行為の根絶に向けた決意を表明する。


【宣言】現代社会において、スポーツは「する」、「みる」、「支える」などの観点から、多くの人々に親しまれている。さらに21世紀のスポーツは、一層重要な使命を担っている。それは、人と人との絆を培うスポーツが、人種や思想、信条などの異なる人々が暮らす地域において、公正で豊かな生活の創造に貢献することである。また、身体活動の経験を通して共感の能力を育み、環境や他者への理解を深める機会を提供するスポーツは、環境と共生の時代を生きる現代社会において、私たちのライフスタイルの創造に大きく貢献することができる。さらに、フェアプレーの精神やヒューマニティーの尊重を根幹とするスポーツは、何よりも平和と友好に満ちた世界を築くことに強い力を発揮することができる。

 しかしながら、我が国のスポーツ界においては、スポーツの価値を著しく冒瀆し、スポーツの使命を破壊する暴力行為が顕在化している現実がある。暴力行為がスポーツを行う者の人権を侵害し、スポーツ愛好者を減少させ、さらにはスポーツの透明性、公正さや公平をむしばむことは自明である。スポーツにおける暴力行為は、人間の尊厳を否定し、指導者とスポーツを行う者、スポーツを行う者相互の信頼関係を根こそぎ崩壊させ、スポーツそのものの存立を否定する、誠に恥ずべき行為である。

 私たちの愛するスポーツを守り、これからのスポーツのあるべき姿を構築していくためには、スポーツ界における暴力行為を根絶しなければならない。指導者、スポーツを行う者、スポーツ団体及び組織は、スポーツの価値を守り、21世紀のスポーツの使命を果たすために、暴力行為根絶に対する大きな責務を負っている。このことに鑑み、スポーツ界における暴力行為根絶を以下のように宣言する。


一.指導者

○指導者は、スポーツが人間にとって貴重な文化であることを認識するとともに、暴力行為がスポーツの価値と相反し、人権の侵害であり、全ての人々の基本的権利であるスポーツを行う機会自体を奪うことを自覚する。

○指導者は、暴力行為による強制と服従では、優れた競技者や強いチームの育成が図れないことを認識し、暴力行為が指導における必要悪という誤った考えを捨て去る。

○指導者は、スポーツを行う者のニーズや資質を考慮し、スポーツを行う者自らが考え、判断することのできる能力の育成に努力し、信頼関係の下、常にスポーツを行う者とのコミュニケーションを図ることに努める。

○指導者は、スポーツを行う者の競技力向上のみならず、全人的な発育・発達を支え、21世紀におけるスポーツの使命を担う、フェアプレーの精神を備えたスポーツパーソンの育成に努める。


二.スポーツを行う者

○スポーツを行う者、とりわけアスリートは、スポーツの価値を自覚し、それを尊重し、表現することによって、人々に喜びや夢、感動を届ける自立的な存在であり、自らがスポーツという世界共通の人類の文化を体現する者であることを自覚する。

○スポーツを行う者は、いかなる暴力行為も行わず、また黙認せず、自己の尊厳を相手の尊重に委ねるフェアプレーの精神でスポーツ活動の場から暴力行為の根絶に努める。


三.スポーツ団体及び組織

○スポーツ団体及び組織は、スポーツの文化的価値や使命を認識し、スポーツを行う者の権利・利益の保護、さらには、心身の健全育成及び安全の確保に配慮しつつ、スポーツの推進に主体的に取り組む責務がある。そのため、スポーツにおける暴力行為が、スポーツを行う者の権利・利益の侵害であることを自覚する。

○スポーツ団体及び組織は、運営の透明性を確保し、ガバナンス強化に取り組むことによって暴力行為の根絶に努める。そのため、スポーツ団体や組織における暴力行為の実態把握や原因分析を行い、組織運営の在り方や暴力行為を根絶するためのガイドライン及び教育プログラム等の策定、相談窓口の設置などの体制を整備する。

 

 スポーツは、青少年の教育、人々の心身の健康の保持増進や生きがいの創出、さらには地域の交流の促進など、人々が健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。また、オリンピック・パラリンピックに代表される世界的な競技大会の隆盛は、スポーツを通した国際平和や人々の交流の可能性を示している。さらに、オリンピック憲章では、スポーツを行うことは人権の一つであり、フェアプレーの精神に基づく相互理解を通して、いかなる暴力も認めないことが宣言されている。

 しかしながら、我が国では、これまでスポーツ活動の場において、暴力行為が存在していた。時と場合によっては、暴力行為が暗黙裏に容認される傾向が存在していたことも否定できない。これまでのスポーツ指導で、ともすれば厳しい指導の下暴力行為が行われていたという事実を真摯に受け止め、指導者はスポーツを行う者の主体的な活動を後押しする重要性を認識し、提示したトレーニング方法が、どのような目的を持ち、どのような効果をもたらすのかについて十分に説明し、スポーツを行う者が自主的にスポーツに取り組めるよう努めなければならない。

 したがって、本宣言を通して、我が国の指導者、スポーツを行う者、スポーツ団体及び組織が一体となって、改めて、暴力行為根絶に向けて取り組む必要がある。

 スポーツの未来を担うのは、現代を生きる私たちである。こうした自覚の下にスポーツに携わる者は、スポーツの持つ価値を著しく侵害する暴力行為を根絶し、世界共通の人類の文化であるスポーツの伝道者となることが求められる。


【おわりに】これまで、我が国のスポーツ界において、暴力行為を根絶しようとする取組が行われなかったわけではない。しかし、それらの取組が十分であったとは言い難い。本宣言は、これまでの強い反省に立ち、我が国のスポーツ界が抱えてきた暴力行為の事実を直視し、強固な意志を持って、いかなる暴力行為とも決別する決意を示すものである。

 本宣言は、これまで、あらゆるスポーツ活動の場において、暴力行為からスポーツを行う者を守り、スポーツ界の充実・発展に尽力してきた全てのスポーツ関係者に心より敬意を表するとともに、それらのスポーツ関係者と共に、スポーツを愛し、豊かに育んでいこうとするスポーツへの熱い思いを受け継ぐものである。そして、スポーツを愛する多くの人々とともに、日本体育協会、日本オリンピック委員会、日本障害者スポーツ協会、全国高等学校体育連盟、日本中学校体育連盟は、暴力行為の根絶が、スポーツを愛し、その価値を享受する者が担うべき重要な責務であることを認識し、スポーツ界におけるあらゆる暴力行為の根絶に取り組むことをここに宣言した。

 この決意を実現するためには、本宣言をスポーツに関係する諸団体及び組織はもとより、広くスポーツ愛好者に周知するとともに、スポーツ諸団体及び組織は、暴力行為根絶の達成に向けた具体的な計画を早期に策定し、継続的な実行に努めなければならない。

 また、今後、国際オリンピック委員会をはじめ世界の関係諸団体及び組織とも連携協力し、グローバルな広がりを展望しつつ、スポーツ界における暴力行為根絶の達成に努めることが求められる。

 さらに、こうした努力が継続され、結実されるためには、我が国の政府及び公的諸機関等が、これまでの取組の上に、本宣言の喫緊性、重要性を理解し、スポーツ界における暴力行為根絶に向けて、一層積極的に協力、支援することが望まれる。

 最後に、スポーツ活動の場で起きた数々の痛ましい事件を今一度想起するとともに、スポーツ界における暴力行為を許さない強固な意志を示し、あらゆる暴力行為の根絶を通して、スポーツをあまねく人々に共有される文化として発展させていくことをここに誓う。

平成25年4月25日

                       公益財団法人日本体育協会

                       公益財団法人日本オリンピック委員会

                       公益財団法人日本障害者スポーツ協会

                       公益財団法人全国高等学校体育連盟

                       公益財団法人日本中学校体育連盟


大阪市教育委員会の取り組み

 次に、大阪市教育委員会が発表した「『体罰・暴力行為を許さない開かれた学校づくりのために』~体罰・暴力行為の防止及び発生時の対応に関する指針・児童生徒の問題行動への対応に関する指針~」(https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000274391.html)の抜粋をみてみましょう。大阪の高校生の自殺事案を受け、大阪市教育委員会が今後の取り組みも含め、公開したものです。全文を読みたい人はリンク先をチェックしてみてください。


  • 顧問教諭がこの生徒に対して行った行為は、何の落ち度もない生徒に対する「暴力行為」であり、学校教育法上の定義による「懲戒」の目的をもって行われる「体罰」ではない。

  • 「暴力行為」に対してまで、「体罰」という言葉を日常的に使用することは、何の落ち度もない児童生徒にあたかも「罰」に値する非があったかのようなイメージを与えかねず、「愛のムチ」といった体罰・暴力行為に寛容な考え方の温床と無関係とは言えないことから、法的な定義の面だけでなく、語意・語感の面からも、適切でない。

  • 「体罰」と「暴力行為」のいずれも、法的に禁止された許されない行為であることに変わりはない。

  • 当該教諭は、バスケットボール部の顧問に就任してから、暴力を指導の一環と位置付け、指導方法として効果的であるとの考えのもと、バスケットボール部員に対して恒常的に暴力を行っていた。

  • 学校教育において、体罰・暴力行為は絶対に許されるものではなく、決して容認できない。体罰・暴力行為を行うことだけでなく、周囲の人間がそれを許容することも、見て見ぬふりをすることも、あってはならない。

  • 学校内において、体罰等が発生しても、これを受けた生徒及びその保護者が異を唱えなければ、当該教員が生徒及びその保護者に対して謝罪をしてその理解を得ることで処理され、管理職である校長及び教頭の知るところとならず、・・・(中略)・・・せいぜい人事権を有していない学校管理職による注意を受けるに留まり、最終的には、当該体罰等は顕在化しない。

  • 自他の防衛や危険回避のためにやむを得ず行った有形力の行使は、「正当防衛」や「正当行為」として法的な責任を免れ得る場合があり、児童生徒の指導のために認められる「懲戒」に該当する行為として幾つかの例が挙げられる。


 過去には教育に必要なこととして黙認されていたのかもしれませんが、現在では、黙認も許されないものとして体罰が扱われていることに注意してください。みなさんが、体罰が教育の一環だと主張しても、誰もとりあってくれません。まず、体罰は学校教育法第11条によって明確に禁止されています。文部科学省のサイト(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm)に体罰と認められる懲戒の例がでていますので、是非確認してみてください。

 学校の部活動ではない、学外のクラブであれば大丈夫かというと全くそうではありません。暴力は刑法上、暴行罪であり、怪我を負わせれば傷害罪を問われます。いずれにせよ、コーチングにおいて暴力・体罰は用いてはならないと理解する必要があります。


アメリカ心理学会の声明

 それでもなお、体罰の効果について信じている人は、一度アメリカ心理学会が出している声明(https://www.apa.org/monitor/2019/05/physical-discipline)に目を通してみてください。そこに出ているコメントをいくつか引用してみます。

  • 縦断的な研究により、人種、性別、家族の社会経済的状況にかかわらず、体罰は行動改善に結びつかないばかりか、感情的、行動的、学業上の問題につながる可能性があることが明らかとなった。

  • 子どもをたたいても責任感や良心、自制心の発達につながらない。叩くことで子どもの注意をひくものの、次になぜ正しいことをすべきなのかということについては本当の意味で理解はしない。大人がいるところでは適切に振る舞うものの、そうでないときには好きに振る舞う。

  • 子どもは親を見て学ぶため、体罰を用いる親は子どもに攻撃的な方法で対立を解決することを教えていることになり、加えて親子関係の質を低下させる。

 この声明をもとに「ニューズウィーク日本語版」が記事を著しているので、こちらも参照してみてください(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12364_1.php)。体罰が子どもたちの発達に負の影響を及ぼしてしまう研究結果が山ほどあるのに対し、体罰がポジティブな影響を与えるという証拠はほとんど見つかりません。私たちは経験上、体罰が効果的であると信じていると思っているのでしょうが、それ以外の方法が上手くいくと知らないだけなのかもしれません。コーチング学の授業では、どのような方法がオプションとして考えられるのかを考えていくことになります。是非、別のやり方を探してみてください。


ハラスメント

 ハラスメントは迷惑行為、嫌がらせのことを言います。今ではさまざまなハラスメントが問題となっています。パワーハラスメント、セクシュアルハラスメント、アカデミックハラスメント、モラルハラスメント、ジェンダーハラスメント、アルコールハラスメント、スモークハラスメント、スメルハラスメント、レイシャルハラスメントなどなど、たくさんのハラスメントがあります。

 このなかで、スポーツで特に問題になるのがパワーハラスメントとセクシュアルハラスメントでしょう。それ以外のものももちろん問題ではありますが、ここでは触れません。ぜひ、それぞれが意識して調べてみてください。


パワーハラスメント(パワハラ)

  • 身体的な攻撃叩く、殴る、蹴るなどの暴行を受ける。丸めたポスターで頭を叩く。

  • 精神的な攻撃同僚の目の前で叱責される。他の職員を宛先に含めてメールで罵倒される。必要以上に長時間にわたり、繰り返し執拗に叱る。

  • 人間関係からの切り離し一人だけ別室に席をうつされる。強制的に自宅待機を命じられる。送別会に出席させない。

  • 過大な要求新人で仕事のやり方も分からないのに、他の人の仕事まで押しつけられて、同僚は皆先に帰ってしまった。

  • 過小な要求運転手なのに営業所の草むしりだけを命じられる。事務職なのに倉庫業務だけを命じられる。

  • 個の侵害交際相手について執拗に問われる。妻に対する悪口を言われる。

 さあ、この6類型のそれぞれについて、皆さんのスポーツ場面にあてはめて、具体的にはどのような行為が当たるのかを考えてみましょう。何が業務の適正な範囲を超えているか、どこまでは大丈夫なのかは、その場その場の状況によって異なるので、各チームでしっかりと話し合って明確にしておくと良いですね。


セクシュアルハラスメント(セクハラ)

 1997年に雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(男女雇用機会均等法)で女性労働者に対する性的嫌がらせに関する規定が設けられました。さらに2007年に「職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき、不利益を受け又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されること」と、男女を問わない定義となりました。

 会社などでのセクハラには、①対価型セクシュアルハラスメントと、②環境型セクシュアルハラスメントがあるとされています。対価型セクハラは、経営者から性的な関係を要求され、拒否したら解雇されたといったもので、環境型セクハラは、事務所内で上司が腰や胸などを度々触るので、また触られるかもしれないと思うと仕事が手に付かず就業意識が低下してしまうといったものが当てはまります。

 この例を参考にしながら、自分達がいまいる環境でのセクハラとはどのようなことが考えられるのかを書きだしてみよう。もう少し、タスクをやりやすくするために、文部科学省が主導して2013年に出されたスポーツ界におけるセクハラの定義試案を紹介します。それによると、「性的な行動・言動であって、当該行動・言動等に対する競技者の対応によって、当該競技者が競技活動をする上での一定の不利益を与え、若しくはその競技活動環境を悪化させる行為、又はそれらを示唆する行為も含まれるものとする」となっています。

 セクハラについてはパワハラよりも判断が明確である場合が多いと思います。ただ、セクハラをする側が無自覚であることも少なからずあります。しかし、セクハラをする側が無自覚であったとしても、性的な言葉や行為が認定でき、被害者がセクハラであると認識すれば、原則セクハラであると判断されることになります。


差別

 「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」これは1948年に国際連合総会で決議された世界人権宣言(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html)の第一条条文です。そして、第二条第一項には、「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。」と記されています。

 これらの他にも、さまざまな公的な文書、文献などで、差別を禁止する表現を見つけることができます。スポーツにおいても、人種差別、男女差別、信条や文化による差別、出生よる差別、障がいの有無による差別など、いかなる差別も許されるべきではないと言えます。

 しかし、コーチング現場においても、実際にはさまざまな問題が起きています。サッカーの試合で観客による差別的な振る舞いが問題となることが、世界中でしばしばあります。最近では、国内でもラグビー日本代表の外国籍選手に関する話題もありました。テニスの大坂なおみ選手に関してもさまざまな意見が聞かれました。「男だから」「女だから」という声もよく聞きます。最近ではパラリンピックの盛り上がりもあって、障がい者スポーツに対する意識も高まってきていると思いますが、スポーツコーチングにおいてユニバーサル、ボーダーレスな対応ができているかというと疑問が残ります。

 皆さんの身の回りには、どのような差別があるでしょうか。差別が無意識に行われていることもあると思います。差別意識は社会生活を営んでいく上で無意識のうちに身についていってしまうものだと考えられます。あるサッカー監督が試合中に起きた観客の差別的振る舞いに対して、「私の子どもたちは、相手の生まれや話す言葉、肌の色を少しも気にしない」「若者は純粋で、影響を与えるのは大人たちだ。だからこそ、誰にとっても教育こそが適切だということを確認する必要がある」「私の国でも同じだ。繰り返すが、私はただ今回のことを批判しているのではない。われわれの国も同じ問題を抱えている。われわれも無関係ではないんだ」と言ったとされています(https://www.afpbb.com/articles/-/3217739)。私たち一人ひとりが自分の無意識に目を向け、少しでも差別をなくす行動をとっていくことが重要でしょう。


さまざまな倫理的課題

 これまで、暴力・体罰問題、ハラスメント問題、差別問題について触れてきましたが、他にもたくさんの課題があります。皆さんが課題として挙げてくれたものももちろん大切な課題です。それらを全て90分で扱うことは不可能で、本来であれば、一つひとつの課題についてもっと時間をかけて考えていかなくてはならないと思います。

今回は扱えなかった課題の中で、外部に上手くまとめてくれているサイトがあるので、それを紹介して今日の授業を終了にしたいと思います。新しい概念であることもあり、カタカナ表記になっていますが、スポーツの専門家として、それぞれが何を意味するのかを簡単に説明できるようになってください。


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