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第5回「コーチに必要とされる知識と基本的機能」



 前回までの授業では、コーチングの最も基盤となる、コーチの価値観や倫理観、コーチング哲学などについて考えてきました。スポーツは善でも悪でもなく、スポーツをコーチングするコーチの考え方の影響を大きく受けることを説明しました。その考え方は、コーチが過去にどのような経験をしてきたかによって形作られており、無意識のうちにコーチの言動を制御している場合も少なくありません。皆さんもコーチングをする際には、自分という人間がどのようにできあがってきたのかを探り、未来をどうしたいのかを考え、そこにギャップがあれば、自分自身の考え方や言動を修正していくようにしましょう。

 自分自身のことを振り返り、より理解を深めていくことを自己認識と言います。他者理解を進めていくためには、まず自己認識を進めておく必要があります。人間は何かしらの色眼鏡(経験によって形作られたバイアス)を通して相手を評価していますので、自分で意図的に違った視点から物事をみたり、できる限りバイアスをなくした物の見方ができるように自分をトレーニングしていきましょう。

 自己認識や振り返りによる行動修正をする能力、あるいは知識のことを対自己の知識(Intrapersonal Knowledge)と呼びます。コーチに必要であるとされている3つの知識のうちの一つです。あと2つは対他者の知識(Interpersonal Knowledge)と専門的知識(Professional Knowledge)です。


コーチに必要とされる知識

専門的知識(Professional Knowledge)

 コーチにはそのスポーツのルールやスキル、体力的要素、心理的要素、戦術など、それぞれのスポーツに特異的な知識が必要とされます。それ以外にも、みなさんが日本体育大学で学んでいるスポーツ医・科学の知識もここに入ります。スポーツ医・科学の知識については、種目を超えて共通して考えられる部分と、その種目に特化したものとがあります。この授業で扱っている年間計画の立て方、練習メニューの組み方、体罰やハラスメントに関する各組織から出された情報、スポーツに関する法令等もここに含まれるでしょう。


対他者の知識(Interpersonal Knowledge)

 対他者の知識は、平たく言えばコミュニケーションに関する知識となります。コーチングはヒューマンビジネスだと言うコーチもいるくらい、コーチングの根幹をなす重要な知識といえるでしょう。

 コミュニケーションの語源を調べてみると、16世紀初めの「共通」を意味するラテン語のCommunicatまで遡ることができます。コミュニケーションはそもそもお互いの共通認識を作り上げていくための過程のことをいうのです。双方向コミュニケーションという言葉がありますが、実はコミュニケーションというだけで、本来は双方向の意味があるのですね。広辞苑第7版ではコミュニケーションを「社会生活を営む人間の間で行う知覚・感情・思考の伝達。言語・記号その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする」と説明しています。共通認識を作り上げていくというところまでの意味ではないようです。しかし、コーチングにおいては、コーチとアスリートの間でイメージを共有したり、同じ方向に向けて協力したりすることを踏まえれば、「他者と言語等を介して意味を共有する過程」(日本スポーツ協会)としておくのが適切であるように思えます。

 コミュニケーションを円滑に行うためには、言語メッセージだけでなく、非言語メッセージにも気を配る必要があります。むしろ非言語メッセージのほうが相手に与えるメッセージ性が高いとも言われています。言語メッセージには話し言葉という言語音声メッセージと、書き言葉や手話といった言語非音声メッセージがあります。非言語メッセージには、声の性質や音程といった非言語音声メッセージと、体つき、表情、身振り、姿勢、まなざし、香り、距離感、角度、時間といった非言語非音声メッセージがあるといわれています。それぞれがどのようなイメージを与えているか、ほかの人たちを観察しながら考えてみてください。

 対他者の知識を構成する重要な要素として2つを挙げておきます。それは感情知性(情動知能Emotional Intelligence: EQ)と文化的知性(Cultural Intelligence: CQ)です。EQは①他者の感情を認識し、②自分の感情を認識して、③自分の感情をコントロールし、④適切な人間関係を構築する能力のことを言います。以前は知能指数(IQ)がリーダーにとって重要であると考えられていたのですが、今ではEQのほうが、リーダーが備えるべきものとして重要度が高いと言われています。また、多様性が増してきた現代では、それぞれの人がもつ背景をしっかりと理解して、自分の行動を決められる能力であるCQが重要であるとも言われています。相手の感情を理解するためには、相手の文脈をしっかりと読み取っていくことが必要不可欠です。対他者の知識として、EQとCQを身につけていけるように意識してみましょう。


対自己の知識(Intrapersonal Knowledge)

 対自己の知識は、大きく分けて自己認識省察に関する知識といえます。自己認識とは自分がどのような考え方をするのか、なぜそのような考え方をするのかといったことを、自分で客観的に評価する能力です。対他者の知識の礎であるとも考えられます。他者理解をするためには、自分がどのような考え方の癖を持っているのかを知っている必要があります。これまでに時間をかけて、自分の行動の源にある価値観を探ってみることをしました。

 もう一つの要素が省察です。省察については別の回により詳しく解説を行いますので、ここではごく簡単にどういうものかだけをお伝えします。みなさんもPDCAサイクルというのを聞いたことがあるでしょう。工場などでPLAN→DO→CHECK→ACTを繰り返して行い、品質の向上を目指していくプロセスのことです。Pでは今後の計画をたて、Dで計画を実行に移します。その結果が計画通りにいっているのかをチェック(C)し、A(改善行動)でやり方の改善を行います。コーチングにおいてもコーチングの計画をたて、実際にそれを実践し、モニタリング、振り返りをして、コーチングの改善をしていきます。多くのコーチはPとDの間を繰り返し行うだけで、十分なCやAをやっていません。人は経験によって学ぶとよく言われるのですが、実は省察を伴わない実践経験を繰り返し行っても、スキルの向上ペースはそれほど高くないと言われています。自分の行動をしっかりと省察する機会を設け、そこでコーチング実践スキルを着実に伸ばすこともコーチが行うことの一つとして考えられているのです。


宣言的知識と手続的知識

 みなさんが「知識」を定義するとすれば、どのように定義するでしょうか。多くの人は、頭で知っている知識のことを考えるのではないでしょうか。実は、上の3つの知識の説明では、「自己決定理論では動機を無動機、外発的動機、内発的動機に分類している」のようなテキストの中に書いてあるような知識のことだけを言っているのではなく、「うまく質問することができる」という「できる」スキルのことも含まれています。前者を宣言的知識(Declarative Knowledge)、後者を手続的知識(Procedural Knowledge)と呼んでいます。専門的知識、対他者の知識、対自己の知識は、ただ宣言的知識を知っているというだけではなく、手続的知識として「できる」という力も含んだ意味になっていることに注意してください。コーチングにおいては、知っているだけではなく、できるところまでなんとか持っていきたいものです。


日本スポーツ協会が示すグッドコーチ像

 日本体育大学の学生はある意味特殊な集団です。もしかすると、世間一般の考えからずれている可能性もあります。そこで、日本のコーチ資格のスタンダードとして認識されている日本スポーツ協会のコーチ資格関連の文献をみて、みなさんの考え方が独特であるかどうかをチェックしてみましょう。

 日本スポーツ協会は2016年3月に国(スポーツ庁)から委託された事業として、コーチングのモデル・コア・カリキュラムを公開しました。その成果を盛り込んだ公認スポーツ指導者資格制度を2019年度からスタートさせています。日本スポーツ協会が示したグッドコーチ像をみてみることにしましょう。



 これらの内容はコーチに特化した表現がされている部分が多いのですが、コーチ、あるいはプレーヤーという言葉を、その他の文脈で使われる表現に変えてみると、特にコーチに限ったことが書かれているわけではないことに気づくと思います。たとえば、コーチを教師、プレーヤーを生徒と置き換えてみることもできます。会社であれば、コーチを上司、プレーヤーを部下と置き換えても大丈夫でしょうし、家庭であればコーチが保護者、プレーヤーが子どもと置き換えて読んでみても、なるほどと思うことばかりです。


コーチングのモデル・コア・カリキュラム

 先ほども言及されていたコーチングのモデル・コア・カリキュラムについて見ておきましょう。2012年12月に起きた大阪桜宮高校バスケットボール部の主将が体罰などを苦に自殺した痛ましい出来事、その直後に明るみに出た柔道女子日本代表チームメンバーに対するナショナルチームスタッフからの体罰を含む虐待やハラスメント行為がきっかけとなり、国レベルの議論が始まりました。これらの出来事の少し後、2013年9月にはブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会総会にて、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まりました。2020東京オリンピック&パラリンピック競技大会を迎えるにあたり、日本のスポーツで虐待やハラスメントが発生していてよいのか、といった問題提起もありました。

 スポーツ庁(当時は文部科学省)は、コーチの悪質な行為をなくしていくためには、コーチ育成のあり方を考え直す必要があるとし、日本スポーツ協会に委託し、国内全てのコーチ育成プログラムの基盤となるコーチングのモデル・コア・カリキュラムの策定を始めました。それが2014年4月のことです。それから2年間の議論を経て、2016年3月にモデル・コア・カリキュラムが完成し、2016年4月から全国に先駆け、日本体育大学と大阪体育大学にてモデル・コア・カリキュラムを導入したコーチング関連の授業が展開され始めました(実際には、本学では2011年カリキュラムで新規設置されたコーチング演習が既にアクティブ・ラーニングを取り入れていた)。

 モデル・コア・カリキュラムとは、「多様化・高度化・専門化する体育・スポーツにおいて、体育系大学等の学生が卒業後にコーチとして現場に立つことを見据え、コーチに求められる資質能力(思考・態度・行動・知識・技能)を確実に習得するために必要な内容を『教育目標ガイドライン(講義概要(目的やねらい)・到達目標・時間数)』として提示するもので、体育系大学等におけるカリキュラム作成の参考となるもの」と位置づけられています。そして、これまで一般的であった講義形式の展開から、アクティブ・ラーニングによる展開へと、講習方式が大きく変化しました。

 モデル・コア・カリキュラム策定により、日本スポーツ協会が運営する公認スポーツ指導者資格制度も改定が必要となり、新しい制度とアクティブ・ラーニングによる講習会が2019年度より開始されました。

 モデル・コア・カリキュラムのコンセプトは、図にあるような同心円で表すことができます。一番外側には個々の指導現場が描かれています。これは、一つひとつの現場が異なる特徴を有しており、その場が持つ状況に合わせて必要とされる知識も異なるということを表しています。その一つ内側をみると、スポーツ知識・技能の専門が描かれています。その内側にあるスポーツ知識・専門の共通と対比させてみるとよく分かりますが、専門のほうは細かく区切られている一方、共通は一つの円となっています。スポーツ知識・技能の専門は、それぞれの種目特性などによって、異なることを示しています。共通は、スポーツ種目が異なったとしても、共通に必要とされる知識であるといえます。その内側には態度・行動や理念・哲学が描かれています。コーチとして最も大切なもの(コア)は理念・哲学であるという考えは、この授業の考え方と一致します。

 モデル・コア・カリキュラムについてチェックしたい場合は、以下のリンクから資料をダウンロードして確認してください。

日本スポーツ協会ウェブサイト:コーチ育成のためのモデル・コア・カリキュラム


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国際団体が示すコーチの機能・役割と必要な知識

 次は、視野をもっと広げてみます。国際コーチングエクセレンス評議会(International Council for Coaching Excellence: ICCE)が2014年に示した図を見てください。

 図の一番上に参加型コーチングとパフォーマンスコーチングという表現があります。参加型コーチングは、競技色が薄いスポーツのコーチングを指し、パフォーマンスコーチングは競技色の強いスポーツのコーチングを指します。参加型コーチングの中には子ども、青年、成人という対象が書かれています。それぞれ年代によってもコーチングの仕方が変わってくることを表しています。パフォーマンスコーチングの中には新しいアスリート、パフォーマンスアスリート、ハイパフォーマンスアスリートの3つが描かれています。新しいアスリートは競技者として入門レベルにある人で、特にジュニア層である場合が多いと思われます。パフォーマンスアスリートに含まれる範囲はとても広く、競技としてスポーツを実施している人の多くがここに含まれると考えられます。ハイパフォーマンスアスリートは一握りのアスリートで、一般には国のトップレベルから国際レベルのアスリートのことを指します。

 参加型コーチングとパフォーマンスコーチングのボックスと、図の中段にある「主な機能」と書かれてボックスがつながっています。これは、対象が子どもの参加型コーチングであれ、国際大会を戦うハイパフォーマンスアスリートを対象としたパフォーマンスコーチングであれ、コーチとして求められる本質的な機能は変わらないということを意味しています。もちろん、具体的に行うことはそれぞれの文脈によって異なりますが、ここに書かれている6つの機能は共通するという意味です。それぞれを見ていくことにしましょう。


ビジョンと戦略の設定

 コーチは、アスリートやその他のステークホルダーにどのような影響を与え、何を達成したいと思っているのかを明確に示すことが求められます。もし、みなさんがプロのコーチを目指しているとすれば、雇用主はみなさんがどのようなビジョンを持ち、どのような戦略でそのビジョンにアプローチしようとしているのかを評価して、採用するかどうかを判定することになるでしょう。

 ただし、このビジョンが自分の利己的なニーズを満たすだけのものになっていないかどうかをチェックすることを忘れてはなりません。これまでの授業で、何度も繰り返している「自由の相互承認」を満たしていないビジョンは、他の人の害になる可能性が大です。コーチとして情熱を持ちコーチングをすることは大切ですが、情熱の種類にも気をつけましょう。利己的な情熱のことを「執着的情熱(Obsessive Passion)」と呼びます。自分のエゴイスティックな気持ちを満足させるための動機で情熱的に活動する人は、何もしない人よりも他者に対して害をもたらしてしまうかもしれません。大好きで始めたスポーツを嫌いにさせたり、やめさせたりしてしまうコーチングの仕方は適切ではないでしょう。逆に、他者のニーズと調和した情熱(調和的情熱Harmonious Passion)であれば、コーチもアスリートも、ステークホルダーも皆が満足する活動となる可能性が高くなります。自らのビジョンが利己的なのか、それとも利他的かつ自分のニーズも満たすことができるようなものになっているかを、第三者的な視点から見つめる態度も養っていく必要があります。

 最初に、ビジョンを明確に示すことが求められると書きました。自分の人生について考え行動する場合には、個人の中でビジョンを持っていればよいのかもしれません。しかし、コーチングは間違いなく他者との関係性の中で行っていくものであるため、ビジョンを共有していく必要があります。学生のみなさんは、今のうちから自分の考えをしっかりと表明することを練習しましょう。目の前のことだけでなく、自分の夢や将来計画を口に出して、友人に聞いてもらってください。相手がその考えにワクワクしてしまうような内容であったり、伝え方となっていくように、ビジョンそのものと伝え方の両方を磨いていきましょう。もし、あなたのビジョンが他者から見ても魅力的でやりがいのあるものであれば、アスリートやその他のステークホルダーが自然にあなたと一緒に活動をしたいと思ってくれるはずです。

 ビジョンを語るときに、自分の経験や感情のみで語ることも避けた方がよいでしょう。みんな違った過去があり、違った価値観や視座をもって生きています。どのように共通認識を作っていくかというスキルも磨いていく必要があります。感情にまかせて思いを語るだけでは相手が納得してくれないかもしれません。そこで役立つのがスポーツ科学であったり、その他様々なエビデンス(証拠)です。なぜ、そのビジョンなのかを語るとき、その理由を一緒に語っていくことが必要です。客観的事象を伝えつつ、論理的に伝えていくことができれば、相手の同意を得やすいでしょう。先週の授業でも扱ったとおり、「なぜ」そうなのかが他人を動かす原動力になる場合が少なくありません。

 ビジョンを語り、相手からも意見をもらっていくと、チームとしての共有ビジョンができあがります。あなたの個人的なビジョンと、チームとして共有するビジョンを混同しないようにしましょう。あなたも自分の価値観やビジョンを語る必要があります。しかしそれに他者を従わせるのではなく、あくまでもほかの人に自分のビジョンをセールスしているのだということを忘れないでください。買うかどうかは相手に決定権があります。押し売りしないようにしましょう。

 そのスポーツにおいて、コーチとして経験豊かであれば、あなたのビジョンにつられてアスリートが集まってくるかもしれません。あなたが主宰し、全権を有するチームであれば、あなたのビジョンに同意する人のみ選べばよいかもしれません。その際には特にあなたのビジョンが明確に示されていることが重要です。しかし、運動部活動の指導や、どこかのチームに雇用される場合には、共有ビジョンを関係者らと作り上げていくことが欠かせません。自分のビジョンを相手に適切に伝えると同時に、チームとしての共有ビジョンを作り上げる一つの要素が自分のビジョンであるという認識を持っておきましょう。

 共有ビジョンを設定することができれば、そのビジョンを実現させるためのプロセスを考えていきます。これが戦略(Strategy)の設定です。どのような環境を整備していくことが必要なのか、どのように競技力向上の計画を立てることが求められるのか、組織としてどのように成長し続けるのかなど、大局観を持って戦略を策定していきます。年間計画作りと練習メニュー作りのところで扱ったプロセスは、パフォーマンスに関する戦略作りといえるでしょう。パフォーマンス以外(例えば、自分の家族の幸福など)もしっかりと考えながら、バランスがとれた十分に柔軟な戦略の立案を心がけるようにしましょう。


環境整備

 環境整備については、次回の授業で少し詳しく見ていくことにします。


人間関係の構築

 何度も繰り返しているように、コーチングは複数の人の間で行われる行為であり、人間関係がコーチングの成果を大きく左右します。人間関係はコーチとアスリートの間だけでなく、コーチと保護者、同僚コーチ、コーチの家族、上司、部下、ファン、役員、スポンサーなど、さまざまなものが考えられます。好ましい人間関係の構築には、コミュニケーションスキルが重要です。ビジョンと戦略の設定のところで述べた共有ビジョンを有しているかどうかも、人間関係の構築に少なからぬ影響を与えています。

 第4回授業のセーフスポーツのところで、倫理的考察について扱った内容(体罰やハラスメント等)についても、多くが人間関係の構築と関係しています。コーチは本人が意図する、意図しないは別に、すでにその役割そのものに指導的立場という性格が付随しています。アスリート側は暗黙のうちに発言できない立場に立っているかもしれません。自分の普通の言動には暗黙的に指示の意味が含まれがちであることを意識しながら、適切な関係構築に努める必要があるでしょう。

 いくら適切な人間関係の構築に心を砕いたとしても、そもそも皆違った価値観を持っているため、すべてがうまくいくとは限りません。それぞれの価値観や視点が異なっているため、同じ事象をみても異なる事象と解釈している可能性があります。解釈の違いを考えれば事実は一つではなく、解釈の数だけあるともいえるのです。あなたが、相手の立場になって考えていたとしても、相手があなたを全く理解しようとすることができないこともあり得るでしょう。すべてがうまくいくはずという前提にたって考えていると、あなた自身のストレスになってしまうかもしれません。人間関係というとても複雑なことにアプローチする際は特に、過去や今の出来事から学び、将来を改善しようという未来志向のスタンスでいたほうが精神的にも健全でいられるでしょう。あなた自身は自分の制御下にある(実はそれ自体も難しかったりしますが)のですが、他者はあなたの制御下にありませんので、自分が制御できることに意識を向けていく練習を今のうちから積んでいきましょう。


練習の実施と試合の準備

 コーチの役割を考えれば、おそらく多くのひとが、練習の実施と試合の準備に関わることを挙げてくることと思います。日常的な練習をリードしたり、試合に向けた準備をして、あるときには引率して試合に行くことなどが容易に想像できます。

 明確な共有ビジョンと戦略に基づいた練習メニューを作り、それを実際にコーチングしていきます。体力トレーニングを処方したり、ゲーム分析やレース分析をして試合に備えたり、動作をビデオに撮ってアスリートと一緒に考えることもあるでしょう。

 試合の「準備」となっているのには、競技によっては試合の実施にはほとんど関与しない場合があること、あるいは関与できたとしても本質的に試合を実施するのはアスリートであるという考えが背景にあります。例えば陸上競技では、アスリートが自分のゼッケンを見せて点呼をとるために招集所に入りますが、招集所にはいるとコーチとはコンタクトがとれません(フィールド種目など競技の合間にコーチと会話ができる場合もある)。コーチが試合の一部になっている競技もあります。バスケットボール、野球、バレーボール、アメリカンフットボールなど、特にアメリカ生まれのスポーツでは、コーチの影響力が強いものがあります。このようなスポーツにおいても、コーチが何を言ったとしても、最終的にプレーするのはアスリートであり、アスリートがコーチの意図に反してプレーすることもできることを考えれば、コーチの役割は試合に向けた準備をしていくことであるという言い方は納得できます。

 この職務をより良いものにしていくには、みなさんが大学で学んでいるスポーツ医・科学の知識が大いに役立ちます。ただ、大学でスポーツ医・科学の知識をたくさん入れたからといって良いコーチになれるかと問われたら、必ずしもそうではないと答えなくてはなりません。日本体育大学のスポーツ医・科学に関する授業では学ばない多くのことがコーチングでは必要とされるのです。


「現場」の理解と対応

 練習の実施と試合の準備をはじめ、その他のすべてに深く関わってくるのがこの「現場」の理解と対応です。練習を実施しているところを例に挙げてみます。アスリートが着地したときに足首をひねってしまったとしたら、その「現場」で何が起こっているのかを理解し、適切な対応をしていくことが必要です。対応は、けがへの対応に限ったことではありません。アウトカムを設定した練習メニューを実施しているとき、アウトカムを達成するためのティーチャブルモーメント(学習が起こりやすい瞬間)が起こったことを見逃さずに、すかさず笛を吹いてフリーズさせ、フィードバックをするということもここに含まれます。人間関係の構築においても、その場その場で起こっていることを適切に理解し、対応していくことが重要ですし、環境構築やビジョンと戦略の設定においても重要な機能になります。

 どのような対応をしていくのかは、みなさんがどのような価値を大切にしているのかに大きく左右されます。共有ビジョンもみなさんの行動を判断するのに重要な役割を果たしてくれます。どのようなリーダーシップを発揮していくのかという、リーダーシップスタイルも対応の仕方に影響を与えます。もちろん、どのようなリーダーシップを発揮するか自体が、自分の価値観やビジョン、そして共有ビジョンの影響を受けているのですが。

 そのリーダーシップについて少しだけ触れておきたいと思います。過去には、リーダーとしての資質・能力は生まれ持ったものであると考えられ、国王や領主らはその血筋が重要と考えられていました(リーダー特性論)。リーダーが持つべき資質・能力の研究が進み、今ではリーダーに必要とされる能力は後天的に身につけられるものであるということが明らかとなっています。一昔前は、部下を叱咤激励しながら、それこそアメとムチによって部下を操るのがリーダーであるようなイメージが強かったことは否めません。このような、他者の意見をあまり取り入れず、独裁者的に集団をまとめていこうとするようなリーダーシップを独裁型リーダーシップと呼びます。今でもその感覚は日本人の中に残っているようにも思います。特にスポーツでは「気合い」や「根性」といった精神的要素に過剰な焦点があたり、トップダウンのリーダーシップが望ましいという考え方が、一般社会に比べて広がっていたともいえます。ITが発達していなかった頃には、コーチの知識が、唯一アスリートがその競技について得る情報源だったかもしれません。教える側と教わる側という構図が作られやすい時代であり、過去のオリンピック等で良い成績をあげた一部の指導者のイメージや、スポ根アニメの影響もあり、独裁者的なコーチが出てきやすい土壌が生まれていったように思います。

 20世紀中頃から、リーダーシップについての研究もどんどん発展し、リーダーとして成功したと言われる人たちを対象とした研究が精力的に行われています。しかし、その中でわかってきたことは、どうも有効なリーダーシップというのは、その時と場合によって異なってきそうだということでした(状況的リーダーシップ理論、SL理論)。その流れの中で出てきたのがリーダーシップはフォロワーシップを考えずして成り立たないという考え方です。どのようなリーダーが機能するかは、フォロワー、つまりリーダーに従う人たちがどのような人たちなのかによって異なってくるというのです。その集団が属する文化・風土によっても、フォロワーが何を求めているのかは異なってきます。同じIT関係であっても、スタートアップ会社の組織文化と何十年も官僚的なシステムで経営されてきた企業の組織文化は大きく異なり、フォロワーと言われる人たちが求めるリーダーシップが異なるでしょう。スポーツにおいても、国の文化、チームが属する地域の風土、スポーツ種目の特性など、さまざまな要因がフォロワーシップやフォロワーが求めるリーダーシップ像に影響を与えます。リーダーシップはこうあるべきという考え方をすること自体が危険なのかもしれません。

 そう考えると、一つのリーダーシップタイプだけでなく、さまざまなタイプのリーダーシップを使い分けていくことが必要だといえます。ここでは先ほどのトップダウン型の独裁者的なリーダーシップとは異なるものを、あと2つ紹介しておきましょう。ひとつはサーバント・リーダーシップで、もう一つが変革型リーダーシップです。

 サーバントとは従者、召使いという意味です。ある集団が富士山登頂を目指して頑張っています。Aさんが、登山前にあれこれ指示をしながら準備をし、行程においても様々な指示を出し、ほかのメンバーを激励しながら山を登っていました。そのような中、8合目付近で集団の中の一人Bさんが体調不良になってその後の行程に参加できなくなってしまいました。すると、それまではお互いに励まし合って頑張っていた集団のメンバーの中でいざこざが起き始め、リーダー格であったAさんがまとめようとしても集団はまとまりがなくなってしまいました。実は、途中で体調不良になってしまったBさんは、Aさんがグイグイと引っ張ろうとしているなか、メンバー間の人間関係が円滑にいくよう各所に気を配っていたのでした。見た目はAさんがリーダーに見えたかもしれませんが、この集団の真のリーダーはBさんだったのかもしれません。リーダーシップの本質は、大きな声で引っ張るかどうかではなく、そのチームが目標達成に向けて機能するように導くことができるかです。Bさんのように目立たずも従者的にサーバント・リーダーシップ(Servant Leadership)を発揮するということができるのです。

 もう一つは変革型リーダーシップ(Transformational Leadership)です。これはよく交換型リーダーシップ(Transactional Leadership)と対比されます。交換型リーダーシップはアメとムチで人を操るようなやりかたです。この仕事をすることで報酬を与える、あるいはこれをやらなければ罰を与えるというものです。自己決定理論からいえば、外発的動機付け、特に外的調整や取り入れ的調整によるものといえるでしょう。変革型リーダーシップは、その人の人柄や話しぶり、振る舞いなどによって、そのほかの人の考え方や行動に変革を起こしてしまうようなリーダーシップの取り方です。練習そのものはコーチが与えたものかもしれませんが、アスリートたちが内在化した動機で取り組めるようなやり方を身につけられるように努力しましょう。また、ビジョンと戦略の設定で触れましたが、コーチのビジョンをうまくセールスするのも変革型リーダーシップの一つであるといえます。アスリートが最初はなんとなくスポーツに参加していたとしても、コーチングを受けるうちに、コーチのビジョンに魅力を感じ、自分の行動を変えていくようなことになったら素晴らしいですね。変革型リーダーシップについての論文紹介をコーチング学研究室のブログでも紹介しているので是非読んでみてください。


学習と内省

 コーチの機能として忘れられがちなのが「学習と内省」です。コーチングは混沌の中で行う構造化された即興であり、絶対解を見つけ出すことがほぼ不可能です。コーチがとった方法が本当に最善の方法だったかどうかを確かめる手段もなく、ただそのときにベストだと信じる方法をとるしかないのです。そのときにベストであると信じられるだけの学びをしておかなくてはなりませんし、自分がそのときのベストだと信じる方法をとり、そこで現れる現象をしっかりと観察し、分析して、次の意思決定と行動をよりよいものにしていくことをやる続けるしかないのです。いつまでたっても終着点がないのがコーチとしての学びです。このテーマについては最後の回で詳しく扱うことにするので、ここではこの程度にしておきます。

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