第11回「聴く力と観る力を磨く」
- 伊藤雅充

- 2022年9月5日
- 読了時間: 21分
更新日:11月22日
第11回の授業を始めましょう。第9回では指示-提案-質問-委譲アプローチの使い分けについて、第10回では質問力を高めていくことについて扱ってきました。皆さんが学んでいるアスリートセンタードコーチングは、アスリートの主体的な学びを促すことによって、アスリートの学び(目標達成に向けた成長)を最適化するとともに、自己決定した取り組みを大切にすることによってより大きな幸福感を得ることを実現させようとするものです。そのためにはコーチが教えたいことをただ指示(Tell)するだけではなく、適切な質問を(Ask)することで相手から意見を聞き出したり、コーチの経験を活かした提案(Sell)をしたり、アスリートたちの主体的な取り組みを促すための委譲(Delegate)をしたりと、様々なアプローチを組み合わせ、アスリートが一人では到達できないかもしれない領域の経験をもたらすことが大切です。
頭ではアスリートの主体的な取り組みが必要だと理解していても、それを実現させるのは容易いことではありません。他者のために「教えたい」という意識の強い人ほど、なかなか質問や委譲アプローチを使うことができないと考えられます。他者のためにと、自分が正しいと思っていることを教えようとしている人は、それが本当に正しいのかを疑ってみる必要があるでしょう。もしかすると、自分が正しいと思っていることは実は正しくないのかもしれないと思うと、それを「教えたい」という願望から逃れることができるかもしれません。あなたの「教えたい」ことは、あなたにとっては有用だったかもしれませんが、あなたにとってもっと有用なものがあったかもしれない、自分が教えようとしている人には自分に有用であったと思っているものよりももっと有用なものがあるかもしれません。教えることの有用性とともに弊害も一緒に考えてみる必要があるのです。
教えるという、一見正義に見えることも、場合によっては害となり得るということを認識し、教えた(Tellした)としても、相手の意見を聞いたり(Askしたり)、教えたことを実際に自分たちで使ってみるような見守りの機会を作り、学習者本人がより大きな学びを得られているかどうかを確かめながらコーチングを進めていく必要があります。そのためにも、相手の考えを「聴く」、相手の様子を「観察する」力が必要とされます。目の前にある状況を適切に見極めていくための聴くスキル、観るスキルについて考えていきましょう。
「聞く」と「聴く」
みなさんが他の人の話に耳を傾けているとき、その話を「聞いて」いるのでしょうか、それとも「聴いて」いるでしょうか。音楽で考えてみましょう。みなさんがカフェで読書をしているとき、あるいは友人と話をしているとき、そこに流れている音楽をどのように受け取っているでしょうか。大好きな曲が流れてきたときには、その曲に心を奪われることがあるかもしれませんが、それ以外はおそらくBGM(バックグラウンドミュージック)として聞こえてきていると思います。つぎにコンサートやライブハウスに出かけたときのことを考えてみましょう。それがクラシックなのかモダンな音楽なのかは別にして、そこで演奏される音楽にほとんど全ての注意を向け、聴いている状態となります。再度、自宅でコンサートやライブハウスで聴いた音楽をかけて勉強をしたり、家事をしたりしているところを想像してください。この時、現場で心を奪われ聴いていた音楽はBGMとして聞こえてきていることが多いと思います。もちろん音楽に集中する場合には自宅でもBGMとしてではなく、それそのものが目的となる聴く状態となっているでしょう。
「聞く」と「聴く」では、音が耳に入ってくるという意味では同じですが、感知される音情報にどのような意識を払うのか、どのような意味を持たせるのかが大きく異なります。誰もが、あるときは他人の話を聞き、あるときは聴いています。コーチングにおいては、自分がどちらの状態であるのかをしっかりと自己認識して他者と関わっていくことが必要です。できることなら、他者と関わるときには積極的に「聴く」状態にもっていったほうが、効果的なコーチングにはつながりやすいと思われます。例を挙げながら、2つの「きく」を対比させていってみましょう。
陸上競技短距離選手の山田さんは最近の自分の競技力向上が思うようにいっておらず、悩んでいます。意を決して田中コーチに相談してみることにしました。
山田「田中コーチ、タイムがぜんぜん伸びていないんです。どうやればもっとタイムがよくなるのか分からなくて・・・。」
田中Aコーチは即座に答えました。
田中A「山田、確かにそうだな。今のお前のフォームだと・・・・・・。これを意識してやってみろ。」
この例を読み、みなさんはどのようなことを感じましたか。ごく普通にみられる対応ではないでしょうか。これは「聞く」、もしかしたら「聞く」ところまでもいっていない例かもしれません。田中Aコーチは山田さんの相談を聞き、すぐに自分の考えを伝えました。もちろん、田中Aコーチが与えたアドバイスによって山田さんは記録を伸ばしていくことができるかもしれませんが、他の選択肢も考えてみましょう。
山田「田中コーチ、タイムがぜんぜん伸びていないんです。どうやればもっとタイムがよくなるのか分からなくて・・・。」
田中B「確かに最近タイムが目標設定したとおりに伸びていないな。何が原因なんだろうな。自分としてはどんな原因がありそうだと考えてる?」
今回の例では、田中Bコーチは自分の考えを即座に伝えるのではなく、山田さんの記録が伸びていないということに同意し、さらに質問をして本人の考えをきき出そうとしています。田中Bコーチは、山田さんがなぜタイムが伸びないのかが分からないとは言っていたものの、何らかの考えや感じていることはあるのではないか、まずは自分の結論を急がず、もっと多くの情報を得てから必要に応じて自分の意見を言おうと思っていたのでした。
私たちが他人の話をきくとき、自分が持っている価値観、先入観が適切な聴き方を妨げてしまうことが多々あります。もしかすると山田さんはフォーム以外のところにタイム向上を妨げていることがあるかもしれないのに、田中Aコーチは自分の思っていることをただ伝えるだけになっています。このようなことを防ぐためには適切な自己認識が重要です。自分がどのような考え方になりがちなのか、何に対してどう感じがちなのかなど、自分の特徴を把握しておくことで、意図的にそれ以外の選択肢をとることができるようになります。田中Aコーチよりも田中Bコーチのきき方のほうがより適切な状況判断と意思決定ができそうな気がします。ではさらに田中CコーチとDコーチとのやりとりをみてみましょう。
()内はコーチが心の中で考えていること
山田「田中コーチ、タイムがぜんぜん伸びていないんです。どうやればもっとタイムがよくなるのか分からなくて・・・。」
田中C「確かに最近タイムが目標設定したとおりに伸びていないな。何が原因なんだろうな。(これは明らかにフォームが原因だ。前から俺が言っているのに。とりあえず質問しておこう。)自分としてはどんな原因がありそうだと考えてる?」
山田「合っているかどうか分からないんですけど、地面をうまく蹴れていないんじゃないかと思っているんです。なんか頑張ってはいるけど、スピードにつながらないというか。」
田中C「(よし、待った甲斐があった。ここで言うぞ。)そうか。フォームだな、原因はきっと。このときに・・・やってみたらどうだ。」
山田「田中コーチ、タイムがぜんぜん伸びていないんです。どうやればもっとタイムがよくなるのか分からなくて・・・。」
田中D「確かに最近タイムが目標設定したとおりに伸びていないな。何が原因なんだろうな。(フォームの修正が必要かなと思っていたけど、他にも原因があるかもしれないから、山田の感じていることをいろいろ聞いてみよう。)自分としてはどんな原因がありそうだと考えてる?」
山田「合っているかどうか分からないんですけど、地面をうまく蹴れていないんじゃないかと思っているんです。なんか頑張ってはいるけど、スピードにつながらないというか。」
田中D「そうか。蹴った力がスピードにつながらないということは、フォームも原因の一つとして考えられるな。でも他にももっと重要な原因があるかもしれないから、もう少し話をしてみようか。」
田中Cコーチの場合は、山田さんからの相談に対して質問を返していますが、同時に自分の答えをすでに決定しています。その後、山田さんが一生懸命自分の感覚や考えを説明している間、田中Cコーチは自分が話す順番待ちをしている状態で、おそらく話の細部まできいていない可能性が大です。このような場合、質問を繰り返していったとしても誘導尋問となるケースがほとんどでしょう。自分が最初にだした結論に導くための質問を繰り広げていってしまい、山田さんには本当に何が必要なのかを多様な観点から探っていくことはできません。だれもが自分の経験(読んで得た知識も含む)に基づいてさまざまな判断をするのですが、それが全てになってしまってはいけません。常に、他にも可能性があるのではないか、自分の偏見ではないのかと自らに問いかけていく必要があります。
その点、田中Dコーチは自分の考えがありつつも、自分の考えは一つの選択肢であり他にも方法論はあり得るという謙虚な姿勢で、山田さんと一緒に山田さんに合ったやり方を見いだそうとしています。田中Dコーチの「判断を保留する」ところは是非見習いたいところです。人間ですから、自分の考えや感情があって当たり前ですが、いったんそれを保留するスキルを身につけることができれば、偏った見方をする自分から脱却することができるようになると思います。判断するのは、もっともっと多くの有益な情報を集めてからで遅くないので、稚拙な判断をすぐにしてしまうことは避けた方が賢明です。自分の考えを伝えることも時に重要です。しかし、相手のことをもっと知ることが必要だ、知りたいという姿勢で対話に取り組んでいくことができれば、判断を保留することができ、最終的によりよい意思決定ができると考えられます。
「でもね」
今度、友達や家族と会話するときに意識して欲しいことがあります。あなた自身の発言に対してでも、他の人同士の対話についてでもよいので、意見を言った人に対して次の人がどのような言葉でつないでいくかという部分に着目してみてください。知らず知らずのうちに、私たちが「でもね」をとても多く使っていることに気付きませんか。みなさんが何か嬉しいこと、あるいは相談事を保護者に話したとしましょう。保護者は何か教えてあげたいという親心で「そうだね。でもね、・・・だよね。」と返してきます。みなさんは「別にそういうことを聞きたかった訳じゃないけど・・・」という気分になります。否定をするつもりはないのでしょうが、「でもね」によって相手は「否定された」という気持ちを持ってしまうかもしれません。
これも先程来話に出ている先入観によって起こっていると考えられます。他者の話をきくときには、きいている人は必ずしも自分の意見を言う必要はありません。しばしば、聴くというのは相手を承認し受け入れることと同じことを意味します。相手を知ろうとし、相手の傍らにいようとすることが、アドバイスよりもよっぽど意義深いものであることが少なくありません。まずは判断を保留し、話の内容だけでなく、相手はなぜこの話をしているんだろう、相手にはこんないいところがあるな、といった話の裏側の文脈についても読み取ろうとすることを意識してみてください。これは間違いなく難しいスキルで、身につけるには何年もかかるでしょう。自分の意見を言いたいという気持ちが鎌首をもたげてきますが、それを押さえ込んでいく態度を養っていく必要があります。
この沈黙は思考停止か思考フル回転か
さきほどの陸上短距離選手山田さんと田中コーチの間で取り交わされるコミュニケーションの別の例を見てみましょう。今度は、田中コーチはDのときと同じ姿勢でのやりとりをしていますが、山田さんの反応がちょっと違っています。
山田「田中コーチ、タイムがぜんぜん伸びていないんです。どうやればもっとタイムがよくなるのか分からなくて・・・。」
田中E「確かに最近タイムが目標設定したとおりに伸びていないな。何が原因なんだろうな。(フォームの修正が必要かなと思っていたけど、他にも原因があるかもしれないから、山田の感じていることをいろいろ聞いてみよう。)自分としてはどんな原因がありそうだと考えてる?」
山田「・・・」
さあ、みなさんならこのときどのような行動をとりますか。田中Eコーチは山田さんに質問を投げかけ、山田さんのことをもっと知ろうとしました。しかし、山田さんは返事ができず黙ってしまいました。絶対的な正解はありません。どのようなオプションがあるかを考えてみましょう。
山田さんはこのときどのような状況になっていると思いますか。大きく二つに分けられるかと思います。ひとつが「思考停止」で、もうひとつが「思考フル回転」です。沈黙に耐えられないコーチは、相手がどのような状況であれ、間が持たずに声を発するでしょう。しかし、状況によってはその沈黙がとても重要な意味を持つことがあります。思考フル回転だと考えられる場合は選択肢は一つ、まずは「待つ」ことになります。山田さんの思考を邪魔すべきではありません。余裕をもって、山田さんが何らかのシグナルを発するまで待ってあげましょう。思考フル回転の末に何かのメッセージを発することもあれば、思考フル回転から思考停止に至ってしまうこともあり得なくありません。そのサインがあれば、コーチから軽く声かけをしてあげることも必要かもしれません。
思考停止に陥るのには、何を考えてよいのか分からない、パニックになっている、何を尋ねられているのかが分からないといった多くの原因が考えられます。いずれにせよ、コーチから何らかの働きかけが必要な状態だといえます。もしかすると、田中Eコーチがした質問の種類が山田さんにとって上位(概念的・抽象的)すぎたのかもしれませんので、その場合には質問をリフレーズ(言い換え)し、答えやすい内容の下位の質問に変えてあげる必要があります。
いずれにせよ、このあと考える「観る力」がとても重要になってきます。ここでも質問のことが多く出てきましたが、問いかける力と聴く力はセットとして考えておいた方がよいでしょうし、これらを有効に使っていくためにも観る力を最大限に活用していくことが求められます。持てる力を全て注力して、相手と文脈を理解しようとすることがアスリートセンタードコーチングを支える土台とも言えます。
「見る」と「観る」
視覚的な情報の取り方についても、「聞く」と「聴く」の違いと同じことが言えます。見えていることと、観ることは異なります。これから観る力について考えていくことにしますが、最初に一つの動画をみてもらってからスタートしましょう。
いかがでしょうか。このアクティビティを実施して自分自身の見ていることが本当に現実なのかということを疑い始めた人もいるのではないでしょうか。面白いので、いくつかの有名な絵を紹介することにしましょう。




横線は全て平行な直線





ゴリラの映像の話に戻します。このエクササイズをすると初めて映像を見る人であれば、かなりの確率でゴリラに気付きません。これは何故でしょうか。3対3のパスの映像を見る前の指示で、必要以上に「白」をアピールしていたと思います。みなさんの意識を白に集中させるような声かけをしていました。みなさんが白に意識を集中して観察していると、黒のあのゴリラを見逃してしまうのです。この手のテストのことを選択的注意テスト(Selective Attention Test)と呼びます。その名の通り、何かに選択的に注意を向けるとみえなくなるものがあるというテストです。
人間はさまざまな外界の情報を感覚器を通して取得しています。そして、得ている全ての情報が処理される訳ではなく、自分が意識を払ったものだけが処理されていきます。一度に情報処理できる量が限られているために、情報処理するものを選択しているそうです。みなさんが勉強するのに使っているテーブルの大きさに限界があるようなもので、そこに広げられる資料だけ扱うことができ、それ以外は捨て去るか、繰り返し利用が必要なものであればファイルして本棚にしまっておくなどしなくてはならないのです。
今回は、白に意識を向けさせ、さらにはパス数をカウントするというタスクを付加することによって黒に関する情報取得に注意を払えないようにしました。日常的に同じようなことが起こっていることに私たちは気付く必要があります。自分が意識したものしか処理されないとしたら、自分の意識しないものはなかったことのように扱われてしまっています。自分の見ているもの、もっと正確に言うと自分が処理している視覚情報のみが実際の状態を表しているものと勘違いしないようにしなくてはなりません。今回のゴリラのエクササイズで身をもって知ったことと思います。
歳を重ねると頑固になる?
みなさんが最近購入した書籍はどのような内容のものでしたか。あるいは、みなさんが今日チェックしたニュース、ツイッター記事は何だったでしょうか。ものすごく膨大な数がある書籍の中、あるいはニュースの中で、なぜそれを手に取ったのか、理由を教えてください。多くの場合は、その書籍やニュースに興味があるからそれを手にするのだと思います。意図的に知る必要があるという理由もあれば、興味とは別に読んでいる場合もあるでしょう。それにしても、まったく自分が興味を示さないものには手を出しません。
みなさんが次に手に取る本や記事は何でしょう。興味ある内容の本や記事を読んで、「やっぱりそうだ」という経験を重ねていくうちに、自分の今の考え方をどんどん強化していくことは行われても、自分の考え方を変えさせてくれるような書籍を意図的に手に取ることは少ないと思います。歳をとるにつれて頑固になると言われることが少なくないと思いますが、歳をとっても柔軟な思考をもっている人はたくさんいます。若い頃からさまざまなことに疑問を持ち、自分の無意識の意識にも挑戦(ゴリラに挑戦!)していくような経験をしていけば、柔軟な思考をすることができると思います。歳を重ねると誰もが頑固になるのではありません。ゴリラも見ようという価値観を持って人生を歩まず、自分の価値観に沿って選択的に情報を収集している限り、視野がどんどん狭くなっていくことは避けられないように思えます。
観察力を鍛える
ある写真(テニスコート上で選手がテニスのボレーをしているシーン)を経験あるエキスパートテニスコーチと初心者コーチに見せ、覚えていることを書き出してもらうという実験をした人がいます。その結果は大変興味深いもので、エキスパートコーチは映っている選手の変化させられるポイント(膝の角度やラケットの位置など)に焦点がいっていたのに対して、初心者コーチはそれ以外の風景などに意識がいっていたのです。ゴリラの研究でも触れたように、人間は一度に限られた情報量しか扱うことができません。しかし、エキスパートコーチと言われる人たちは、その限られた能力の使い方が違っている可能性があるのです。
どこをどのように観察していくかについて、絶対的な正解はありません。その場の文脈によって適切な観察法は変わってくると考えられます。まずは、自分自身の価値観によって観察された結果が偏ってしまっている可能性があることを自覚しておくことが大切です。それさえ自覚していれば、さまざまな対策をして、よりよい意思決定を行うための観察をする準備ができます。どのようなことをしていけば、よりよい観察につながるのかを考えてみましょう。
長期的なビジョン
年間計画や練習メニューの立案について考えた回(第5回と第6回)で触れましたが、今この10分で行っている練習が何を達成するためのものなのかが明確になっていれば、自ずと観察すべきポイントが絞られます。長期的なビジョンに基づいた明確なアウトカム(目的・目標)を持つ練習メニューを作っていれば、効果的な観察が可能になります。アウトカムが明確になっていないと、あれやこれやと何もかもをみなくてはいけません。この状態はむしろ何もみていないことを意味するとも言えます。
アウトカムが明確になっていれば、それ以外のミスが起こったとしても、惑わされることなく、今回のテーマに絞った観察に集中することができます。事前にアスリートとアウトカムが共有されていれば、コーチが観察した情報に基づいて必要なフィードバックを提示することができ、アスリートにとってもわかりやすいフィードバックとなります。
観る視点を変える
人間の動作は3次元空間で行われており、観察する角度によって観察できるものが変わってきます。一つの角度からだけではなく、複数の角度から観ることを心がけましょう。最も簡単な方法は、自分が観察する立ち位置を変えていくことです。
映像機器を活用することで同時に複数の角度からの視点を得ることも可能です。たとえば、自分がアスリートの側方から観察していれば、後方に無線でつなげた映像機器を設置し、数秒のディレイ(遅延)再生を行うことで、側方からの視点と後方からの視点の両方から観察した結果をもとに評価をしていくことができます。体育館であれば天井にカメラを設置するなど、さまざまな工夫をすることで、複眼的な分析ができるようになるでしょう。
どのような場合でも、どの角度からは何が観察可能なのかを考え、戦略的に角度の変化を加えていくことが重要です。観る角度を増やすということは情報量を増やすということであり、観ようとするものが明確になっていないと、増大した情報量に惑わされてしまうことになりかねません。
複数回の観察で評価する
コーチが、観るたびに何かをフィードバックしないといけないと思っていると、アスリートが挑戦する毎に声をかけることになるでしょう。しかし、運動学習の観点から言うと、コーチの声かけはアスリートが自分で自分にフィードバックをかけていくプロセスを邪魔してしまう可能性があります。コーチの声かけがアスリートの競技力向上を邪魔しないようにするためには、黙っていることも重要です。しかし、アスリートが内的なフィードバックを適切に行えないときに、タイミングを見計らって声かけをしていくことが必要です。
アスリートの内的なフィードバックを大切にするためにも、コーチはアスリートのタスク実行を複数回観察するように心がけてみましょう。複数回の観察には他にも重要な意味があります。ある程度習得した技術であれば、その技術遂行にある程度の再現性(同じものが繰り返し現れる)があります。しかし、ここで話題にしているのは、新しいことにチャレンジしていることであり、再現性が前提とならない技術、あるいはスキルについてです。一回の試行で全てを評価するのではなく、複数回の観察を行うことで、成功や失敗の傾向を見いだすこともできますし、上述の観察の視点を変えるということもできます。
もちろん、試行毎にアスリートの内的フィードバックを支援すること、そしてコーチがアスリートの感覚をより理解するために、その特定の試行をどう感じたのかなどを質問することが有効である場合もあるでしょう。コーチが観察したものを、アスリートが実際にはどう思っていたのかを知ることで、次の観察の戦略を修正することができるかもしれません。ここでも、効果的な観察の仕方は、時と場合による、ということです。
五感+αをフルに活用する
観察といっても、視覚情報にのみ依存する必要はありません。直前に話したように、アスリートに質問をしてアスリートの感覚を聞き出すことも、観察の一つと言えます。ボールを打ったときの音、シューズと床面がすれる音、ヨットが海面を滑る音、アスリートの呼吸といった聴覚情報も観察のレベルを上げてくれることがあります。柔道やレスリングのように組み合う種目などでは、肌で感じる感覚(触覚)によってアスリートの状態を観察するということもあり得ます。モータースポーツではエンジンの匂い、タイヤの摩擦による匂い(臭覚情報)も重要かもしれません。味覚についてはちょっと思いつきませんが、思いついたら是非教えてください。寮で共同生活をしていて、このアスリートの食べているもの、しょっぱいぞ、と体調管理の面で活躍するというのもあるかもしれませんが・・・。
質問は競技場面以外でもアスリートを「観察」するための重要なスキルになります。普段の何気ない会話の中で、いろいろな質問を交えてアスリートに感じていることや考えを聞いてみましょう。体調や悩み事など、さまざまな「観察」ができ、その観察結果をもとに練習の強度や量を調節したり、練習の時にかける声を変化させたりすることができると、より効果的なコーチングにつながるでしょう。そのような場合には特に「心の目」が重要となります。表面的な言葉だけでなく、その言葉に秘められたさまざまなストーリーを感知しようとしてみましょう。「観」とは「目に映った印象。物事の様子・状態。」という意味以外に「特定の想念や心の本性などを心の中で観察し、仏教の真理に達する方法」(大辞林4.0)という意味があります。物事をただ見るだけではなく、心の目を使って、物理的に見えている以上のものを観ることができれば素晴らしいですね。
終わりに
今回の授業では、対他者の知識を構成する要素として「聴く」と「観る」を扱いました。共通するポイントとしては、きいたりみたりするプロセスにおいて、コーチ側の先入観が障壁となり、聴く・観るのレベルまで到達できないことがあるため、適切な自己認識をすることが鍵となるということでした。聴く・観るに至る具体的な方法としては、判断、評価を控えることを意識的にしてみることが挙げられます。アスリートをより深く理解しようと努めながら、目の前の課題についてさまざまな観点から分析をしたうえでアスリートと共通認識をつくる(寄り添う、ともにいる)ことが第一歩で、そこから何をするかを決める時点で初めてお互いの価値観がより入ってくる評価について話し合うことが必要だと思います。
