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STB第6回「非線形学習理論の概要」

 第6回目の授業を始めましょう。今回の新しいテーマは「非線形学習理論の概要」です。


システム思考

 どのようなフィードバックが効果的かについて、さまざまな側面に触れてきましたが、結局のところ、絶対うまくいくフィードバックというものを断言することはできませんし、逆に絶対的にダメなフィードバックというのもはっきりと言うことができません。なぜかというと、It depends…つまり、時と場合によって同じフィードバックを与えたとしても、それによって引き起こされる結果が異なってくるからです。この点については第5回「効果的なフィードバック」の回でも触れました。コーチングは混沌の中で行われる構造化された即興であり、何が効果的なコーチングとなるかは、コーチングが行われる文脈に依存するのです。文脈とは、そのコーチングが行われる場の特徴と言い換えることができます。文脈は常に変化しており、留まることを知りません。

 時が流れ、それとともに全てのものが変化しています。みなさん、このフレーズは聞き覚えがあるでしょう。


祗園精舎の鐘の声、

諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、

盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、

唯春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、

偏に風の前の塵に同じ。


 平家物語の冒頭部分ですね。世の中は常に動いていて、とどまるものはなく、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」、すべては移り変わるものであると言っています。ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが「あなたは、同じ川に二度と入ることはできない」と言ったそうです。見た目は同じ多摩川でも、そこにある水は一瞬前の水とは異なっています。川に入るあなたも、一瞬前のあなたとは完全に同じ存在であるとは言えません。日本でも鴨長明が方丈記で「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と言っていましたね。

 スキル学習の授業で、なぜ文学や哲学が出てくるのかと怪しんでいる人もいるでしょう。怪しみながらももう少しお付き合いください。仏教の教えの中に「諸法無我(しょほうむが)」というものがあります。すべてはつながりの中で変化しているという意味だそうです。世の中にあるさまざまなもの、あるいは「もの」とは言えないかもしれない「もの」である心や認識などが、すべて複雑に絡み合って私たちに影響を与えています。人間関係などという、時にとてつもなく厄介で、時には私たちを喜びの中に埋もれさせてくれるものも、ありとあらゆるもの(「もの」以外にどう表現してよいのか・・・)とお互いに関係し合って、相互に影響し合っているのです。だからこそ「一切皆苦(いっさいかいく)」、人生は思い通りにならないのです。

 このような複雑な世の中を、よりシンプルに理解できるようにしてくれたのが科学でした。ものごとの普遍的な法則性を見いだすことで、物事の因果関係を説明し、社会の発展に活かしてきました。これまでに私たちの社会の発展を支えてきた典型的な科学は、存在するものは測定できるものという考え方のもとで行われてきました。全体を正確に分解し、分解したものを正確に測定し、そこで分かったことを組み合わせていけば全体が理解できるという考え方で、さまざまな研究が行われてきました。いわゆる要素還元主義といわれるようなやりかたです。みなさんが第3回の授業で学んだ運動学習理論も、ある意味このような考え方のもとに作られた理論です。

 しかし、科学もさらに進んで、より詳細が理解できるようになってきたとき、要素還元主義的な考え方では、どうも理解できないことがあるというのが分かってきました。要素に分けて細部をどれだけ正確に理解したとしても、それらをまとめて全体を理解しようとしたとき、正確に全体の再構築ができないようなのです。そこで賢い人たちが気付きました。個々の構成要素をどれだけ正確に理解したとしても、それぞれの間の関係性を理解できなければ、全体を理解することにはならないと。

 ある書籍の一部をそのまま引用して紹介します。


世界が機械であることをやめたとき、私たちがそのダイナミックな性質を認識しはじめたとき、慣れ親しんできた側面の多くが失われた。量子論の研究からは「もの」が姿を消した。物質の基本的な構成要素の探求を断固として続けている科学者もいるが、それ以外の物理学者たちは、それを還元主義の最後の無益な探求として、放棄した。素粒子を見つけるための実験をしていくうちに、相互に、そして観測者に反応して形や性質を変える「もの」を発見し、最終的なほかに影響を受けない「もの」を研究するのを断念したのだ。(中略)すべては相互に、そして環境に反応して生じる

(中略)量子の世界では、関係は興味深い対象にとどまらない。多くの物理学者にとって、関係が現実のすべてなのだ。(中略)物理学者は、こうした相互作用の確率と結果を図で表すことができるが、ほかの粒子から独立して描くことのできる粒子は一つもない。どの図でも重要なのは、要素が出会い、変化する全体的なプロセスだ。もっと個別の詳細を分析しようとしても単に不可能なのだ。

(中略)組織では、システムと個人、どちらが行動により重要な影響を与えるか。量子の世界は私の問いに声高に「両方」と答えた。「どちらか」は存在しないのだ。二つのものごとが別々の存在だという前提で、どちらかに決める必要はない。重要なのは、二つ以上の要素の間でつくられる関係だ。システムが個人に影響を与え、個人がシステムを奮起させる。現在の現実を引き出すのは関係であり、どの可能性が現実になるかは、人、出来事、時に左右される。

(ウィートリー著、東出(訳)、「リーダーシップとニューサイエンス」、p.57~p.60)


図1 白雁の雁行陣
図1 白雁の雁行陣

 ひとつ、写真をみてください(図1)。よく見かける光景ですね。白雁がV字の隊形で飛んでいるところです。この鳥たちは、だれかが指示を出しながらこの隊形で長い距離を飛ぶのでしょうか。だれがこのように飛ぶことを教えたのでしょうか。これも、個々の雁を研究したとしても解答を得ることができない問題です。

 ムクドリの大群が夕方の空を飛んでいるところを思い浮かべてください。あちこち大群のまま方向を変えながら飛び回っていますね。ときおり、その群れから一匹だけ外れたりすると、その一匹がとても可愛く見えます。天空の城ラピュタで朝が来たときに鳩たちがまとまって飛んでいるシーンがありますね。ふと思い出しました。そうそう、みなさんは「スイミー」を覚えていますか。仲間はみんな赤い色をしているのに、自分だけは黒色の小さなお魚です。大きな魚に食べられることを怖がっている赤い小魚たちに、自分が目になって全体で大きな魚のふりをして泳ぐことを提案し、実際に大きな魚を追い払うというあれです。どれも個の関係性の重要さについて教えてくれるシーンです。スイミーがほかの魚たちが作った集団の中のどの位置にいるかによっても、大きな魚に与える影響は違っていたかもしれません。小魚たちの関係性が大きな魚との関係性にも影響を与え、それがまた別のものに影響を与えているはずですね。そしてそれは小魚たち自身にも影響を与えているという、なんとも不可思議な関係性が見えてきます。

 先の引用文の最後にあったように、このような関係性の重要性は物理学や生物学などだけでなく、ビジネスやスポーツなど人間の社会生活にも深く関わっています。「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがありますが、一見、何の関係もなさそうなところに影響が及ぶことが少なからず世の中には存在します。英語でもButterfly effect(バタフライ効果)ということが言われています。ブラジルでの一匹のチョウチョの羽ばたきがテキサス州での竜巻を起こすといった比喩として語られています。このような様々なものがお互いに関係し合い、影響し合っていることを前提に物事を考えていくことを「システム思考(Systems Thinking)」と呼びます。平たく言えば、包括的な見方を忘れてはならないということになるでしょうか。木を見て森を見ずでもだめで、森を見て木を見ずもだめで、木も森も見ることが大切だと教えてくれる考え方です。


図2 非線形の学習理論
図2 非線形の学習理論

非線形の学習理論

 やっとここまで来ました。第3回授業で学んだ運動学習理論は、人が運動を学習するのを1→2→3→4→5→1のように「直線的」な流れで捉えていたことを思い出してください。今日、ここでみなさんに紹介したい理論は「非直線的」な考え方、システム思考をベースにしたものです。

 図2をみてください。ここに非線形の学習理論がシンプルに図示されています。三角形のそれぞれの頂点に書かれた言葉に注目してください。アスリート、環境、タスクという3つが書かれています。この3つの要素がお互いに関係し、お互いに影響し合っていると考えられ、アスリートがあるタスクを行うと環境に働きかけをすることになります。働きかけをした瞬間にアスリートやタスクにも環境からの影響が及ぼされています。あるアスリートがある環境の中である目的を達成しようとすると、必要とされるタスクが自ずと決まってきます。もちろんその選択肢はいくつもある場合もあれば、一つだけのこともあるでしょう。ある環境の中で、あるタスクを要求されると、アスリートはそれを実際にやってみて(三角形の右側に書かれている行動)、自分の中でさまざまな経験を知覚し、それを繰り返していくうちに、置かれた環境と求められるタスク(あるいは結果)に対して自らを変化させていくことになります。

 渡り鳥の雁行陣(V字を描く飛行隊形)を思い起こしてください。さまざまな地形や気象などが複雑に組み合わさった環境条件の中で、集団で遠くの目的地へと移動するという目的を果たすために鳥たちは最もエネルギー効率の良い雁行陣(個体間の関係性)をとることを学習していくと非線形学習理論では考えます。また、その環境とタスクに必要とされる体力を身につけるような生理的な反応も起きてくるでしょう。

 直線的な運動学習理論が、還元主義的な考え方のなかで運動を学習していっていると考えるのに対し、非直線的な学習理論では常にシステム思考で全体的な観点から学習を雁が得ているという違いがあります。もっと身近な例で言えば、試合のパフォーマンスを要素に分解し、それを個別にドリル練習をしていき、最後に試合形式練習でまとめようとするのが直線的な学習理論に基づく練習の仕方です。それに対して、試合で起こる状況を常に想定した環境を作り出し、そこでのタスクを明確に示し、学習者に適応(学習)を引き起こそうとするのが非線形の学習理論に基づいた練習がやろうとすることです。

 先に引用した物理学の議論と同様に、個々の技術のレベルを上げたとしても、個の総和は全体にはなりません。テクニックとスキルの違いに関する議論を第3回授業の最初に記述しました。テクニックはうまいがスキルは疑問だという人は、直線的な学習理論によってテクニックのトレーニングをしてきただけの人かもしれません。効果的な練習の特徴として実戦的であるかどうかという観点がありましたが、みなさんはすでにシステム思考による練習が重要だということに気付いていたのですね。

 図2の下にあるように、非線形の学習理論は、変化する環境に合わせて行動も変化していくという考え方をしています。ですので、コーチは環境やタスクを設定するところに意識を向けます。「ボールの蹴り方は軸足をこう置いてから・・・」のようなことを教えないといけないと思っていると、非線形の学習理論に基づいた練習作りはできません。1→2→3・・・というステップで学習が行われるというコーチの思い込みで指導するのではなく、アスリートそれぞれの学び方を尊重してやることが重要です。アスリートがスキルを学びやすい(自分で発見するという意味での学びであって、コーチの思い通りに動かすということではない)環境を整えてやり、アスリートをよく観察し、必要に応じて(アウトカムが明確な練習メニューになっていれば必要なタイミングかどうかが判定しやすくなる)、どうやればもっとうまくできそうかを考えられる質問を投げかけます。時には指示をし、適切なフィードバックを提供しながら、設定した環境の中で目的を果たすための最適な動きを獲得していく支援をしていくのです。


非線形学習理論とアスリートセンタードコーチング

 今日のテーマは、大きな発想の転換が必要となるものなので、あまり多くを提示しても処理しきれないかもしれないと思います。このあたりでいったん終わっておきます。

 コーチング学の授業でも言っているように、日本体育大学のコーチング学チームでは、アスリートセンタードコーチングを勧めています。非線形学習理論は、アスリートセンタードコーチングにおいても重要な考え方となります。線形の学習理論では、1→2→3・・・という順番でうまくなっていくはずという前提で練習を組んでいきます。その順番自体がコーチの思い込みかもしれません。別に2と3をすっ飛ばして4にいきなり行っても良いのではないでしょうか。もしかしたら1よりも3が先にできる人だっているかもしれません。

 とはいえ、非線形学習理論も線形学習理論もあくまでも理論ですので、どちらが正しいかは分かりませんし、そもそも「どちらか」を選ぶ必要もないのかもしれませんね。アスリートセンタードに考えていけば、その人にあったやり方を選べることのほうが重要でしょう。




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