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勝たせることだけが、コーチングの成果なのか


こんにちは。伊藤です。


学部のコーチング学授業で「アスリートに導く結果」という回があります。スポーツの指導というと、多くの人はまず「強くすること」「勝たせること」を思い浮かべるかもしれません。実際、競技スポーツの現場では、勝敗や結果が強く意識されます。しかし、コーチングを学問として考えていくとき、成果はそれだけでは捉えきれません。授業ではまず、そのことを確認するところから始めました。


近年のコーチング研究では、効果的なコーチングとは、そのコーチングが行われる文脈において、コーチが専門的知識、対他者の知識、対自己の知識を駆使しながら、アスリートの有能さ、自信、関係性、人間性を高めていく営みであると整理されています。これらは英語でCompetence、Confidence、Connection、Characterと表現され、4つの頭文字Cを合わせて、4C's(フォーシーズ)と呼ばれています。勝たせることだけを目的にしてしまうと、この4つのうちの一部しか見えなくなりがちです。たしかに競技力が上がることは重要ですが、たとえば競技力は伸びても、自信を失わせるような関わり方をしているなら、それは「よいコーチング」とは言えないでしょう。逆に、競技としてはまだ発展途上でも、選手が前向きに学び、人として育っていくなら、そのコーチングには大きな価値があると言えます。


4C’sのうち、最もイメージしやすいのはCompetence、有能さでしょう。できなかったことができるようになること、あるいは、すでにできることの質が高まることなどを意味します。スポーツで言えば、技術が向上する、判断が洗練される、試合の中で発揮できる力が増していく、といったことです。授業では、“勝敗”と“有能さ”を混同しないことを強調しました。勝ち負けは、相手もいる以上、自分だけで完全にコントロールできるものではありません。一方で、有能さを高める努力は、自分たちの側で積み上げることができます。本来、コーチがまず見なければならないのは、「勝ったか負けたか」そのものよりも、「勝つ確率を高めるだけの有能さを育てられているかどうか」だと言えます。ここで注意が必要なのが、勝敗を意識する必要はないと言っているのではないということです。私自身、勝負には勝ちたくてたまりません。ただ、他の何よりも勝利を優先するという「勝利至上主義」ではなく、勝利を目指して適切な最大限の努力をするという「勝利追求主義」をとるべきだと考えています。そのためにも、競技スポーツでは勝敗を受け入れる副産物として捉えるという姿勢も大切だと思っています。


次にConfidence、自信です。ここも競技スポーツにおいて誤解が生じやすいところだと思います。勝つことで自信はつく、と言う指導者は少なくありません。確かにその側面もあるでしょうが、自信はそう単純に考えるべきものではないと思います。負けても、自分がやり切ったと思えることはあるし、挑戦した経験そのものが自信の土台になることもあります。逆に、勝ったとしても、自分で納得できていなければ、自信にはつながらないこともあります。勝敗は相手との相互作用の中で決まるものです。自信とは、勝敗の結果に従属するものではなく、「自分の力を信じて前向きに取り組めるかどうか」に関わる問題です。ここを見誤ると、「勝ったからよかった」「負けたからだめだった」という表面的な評価に、コーチング全体が引きずられてしまいます。指導者や親が「あの子に勝ったらすごい」と、勝ち負けの部分に焦点がいくような働きかけをしていると、自分が努力しなくても相対的に相手を自分よりも下にすればよいという発想(自我関与)を促進し、勝つためには手段を選ばないといった思想を育ててしまうリスクもあるでしょう。


Connection、関係性も重要です。スポーツの現場では、アスリートは技術だけを学んでいるわけではありません。コーチが他者とどう関わるかを見ながら、関係の結び方そのものを学んでいます。コーチが審判に怒鳴るチームで育てば、子どもたちは「審判には文句を言ってよい」と学ぶかもしれません。コーチが他者を尊重し、対話し、自身のミスを認めながら関わる姿を見せれば、選手たちはそうした関係の結び方を学びます。つまり、コーチは技術を教える存在であると同時に、人と人がどう関わるかのモデルにもなっているのです。


そしてCharacter、人間性です。スポーツの価値として、「スポーツは人を育てる」と思われている節があります。しかし、ここは慎重に考える必要があるでしょう。スポーツをやれば自動的に人間性が育つわけではありません。むしろ、スポーツを通して悪いことを学ぶことすらあり得ます。反則が見つからなければよい、勝つためなら相手を傷つけてもよい、上下関係の中では理不尽に従うしかない。そうしたことも、スポーツの場で学ばれてしまう可能性があります。スポーツ自体は善でも悪でもなく、極めてニュートラルな性質のものであると思います。スポーツをどう経験するか、どのような意味づけのもとで取り組むかが、その人に何を残すかを決めることになります。ここにこそ、コーチの責任があります。スポーツに意味づけをするのはコーチ、そう思っています。


では、こうした4C’sを高めるために、コーチは何を手がかりにすればよいのでしょうか。授業では、その心理的基盤として自己決定理論を紹介しています。自己決定理論が重視するのは、人に動機づけが「あるかないか」ではなく、その動機づけがどの程度、自分の内側に位置づいているかという点です。たとえば、誰かに言われて仕方なく動いている状態は、外発的で統制的な動機づけです。これに対して、自分にとって意味があると感じ、自分で納得して取り組んでいる状態は、内発的動機づけ、あるいはより内在化した外発的動機づけだと考えられます。コーチングを考える上で重要なのは、選手を単に動かすことではなく、その取り組みが少しずつ本人のものになっていくように支えることです。


その背景には、人間がもつ基本的な心理的欲求があるとされています。自己決定理論では、それを有能感自律性関係性という3つの欲求として捉えます。つまり、「できるようになりたい」「自分で決めて取り組みたい」「誰かとつながっていたい、居場所を感じたい」という欲求です。授業でも、この3つは人が前向きに学び、成長していくうえで重要な土台になるものとして説明しました。なかでも、自分の行動を自分のものとして感じられるという意味での自律性は、とくに重要な要素です。自分で納得して取り組んでいる感覚が高まるほど、人はより深く考え、工夫し、継続的に努力しやすくなります。好きで始めたことならなおさらです。たとえば、練習そのものは2時間で終わったとしても、その競技が好きでたまらない人は、それ以外の時間にも自然にそのことを考えます。そうした積み重ねが、長い目で見れば大きな成長の差につながっていきます。


ここでスポーツの現場を振り返ると、多くの子どもは、もともと「やってみたい」「やりたい」という気持ちを持ってスポーツを始めています。親や友人に勧められたことがきっかけであっても、最終的には本人なりに意味を感じ、その活動に入ってきている場合が少なくありません。そう考えると、本来は楽しくて始めたはずのスポーツを、コーチングによって嫌いにさせてしまうことは、非常に深刻な問題です。実際、以前私たちが、将来を期待されるエリートジュニア選手でありながら、その競技から撤退してしまった子どもたちの声(実際にはジュニア期を終えてからの声)を聞く研究を行ったことがあります。元ジュニアエリート選手たちの声に触れたとき、私は大きな衝撃を受けました。高い能力を持ち、競技実績もある子どもたちが、それでも競技の場から離れていく。その背景をたどっていくと、競技そのものが嫌いになったというよりも、そこで受けていた関わり方やコーチングが耐えがたいものになっていたと考えざるを得ない事例が大多数を占めていました。そうした現実に触れたことで、スポーツから子どもを遠ざけてしまうような関わり方は、何としても減らしていかなければならないと強く感じました。


だからこそ、コーチに求められるのは、選手を支配することではなく、選手が自分で考え、選び、調整しながら取り組んでいけるように支えることです。授業では、これを自律支援行動として紹介しました。ただし、自律支援は放任ではありませんし、何でも好きにさせることでもありません。必要なルールや枠組みはきちんと示したうえで、その中で本人が選べる余地をつくること、なぜそれに取り組むのかという理由を伝えること、そして相手の感じ方や見方を認めることが重要になります。たとえば、「Aをやりなさい」と一方的に命じるのではなく、「AとBのどちらで取り組みますか」と問いかけるだけでも、行動の主体は変わってきます。また、本人から別の案が出てきたときも、頭ごなしに否定するのではなく、「その発想は面白いですね」と受け止めたうえで、今の目的との関係を一緒に考えることができます。そうした小さな違いの積み重ねが、主体性を育てるか、それとも統制を強めるかの分かれ目になるのだと思います。


その一方で、選手をコントロールしようとする関わり方には、いくつか典型的なパターンがあります。たとえば、有形の報酬で動かそうとすること、制御的なフィードバックを与えること、他者との比較によって競争心をあおること、条件付きの関心を示すことなどです。たとえば、もともと楽しく取り組んでいる活動に対して、ご褒美を過剰に結びつけてしまうと、その活動そのものの面白さよりも、「ご褒美がもらえるかどうか」が行動の中心になってしまうことがあります。また、「誰々に勝ててすごいですね」という褒め方ばかりをしていると、自分の成長そのものよりも、手っ取り早く相手を上回ることに意識が向きやすくなります。条件付きの関心も同じです。「あなたが私を満足させるなら、私はあなたを認めます」という関係になってしまえば、選手は自分のためではなく、コーチの機嫌を取るために動くようになるかもしれません。これでは、4C’sの土台は育ちにくくなります。


ここまで見てくると、コーチの役割はかなり明確になります。コーチは、アスリートの有能さや自信、人間性を直接「与える」ことはできません。そこに直接手を入れることはできないのです。コーチにできるのは、それらが育ちやすい環境を整えることです。安心して挑戦できる場をつくること、質の高い対話を生み出すこと、選択できる余地を残すこと、活動の目的がわかるようにすること、そして必要な規律は保ちながらも、支配ではなく支援として関わることなどです。アスリートの成果そのものをコントロールしようとするのではなく、成果が生まれやすい環境に責任を持つこと。授業では、その点を強調しました。


加えて、この授業では、日本のスポーツ文化についても少し考えました。世界のコーチング研究から学ぶことは多いのですが、その多くは欧米を中心に組み立てられてきた理論でもあります。一方で、日本には、勝敗だけでなく、稽古や旅路そのものに意味を見いだしてきた感覚があります。結果がどうだったかだけではなく、そこに至るまでにどう歩んだか、その過程で何が磨かれたかを大切にする感覚です。私は、この感覚自体には大きな価値があると考えています。ただし、そこで確認しておきたいのは、その価値が統制や体罰と結びつく必要はまったくないということです。過程を大切にすることと、選手の尊厳を守ることは両立できますし、むしろ両立させなければなりません。そこにこそ、これからの日本のコーチングが深めていくべき課題があるように思います。


結局のところ、勝利は大切です。私自身、勝ちたい気持ちは強いですし、勝利を追求することの価値を否定したいわけではありません。ただ、勝利だけを成果として見てしまうと、コーチングの本質をかなり取りこぼしてしまいます。選手ができるようになったのか。自信を持てるようになったのか。人との関係をよりよく築けるようになったのか。人としてどう育っているのか。そして、自分で学び続けられる人になっているのか。そうした問いまで含めて初めて、コーチングがもたらす成果を考えることができるのだと思います。この授業は、そのことを大学2年生と考える時間でした。

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