ユーススポーツ(ここではざっくりと未成年のスポーツとしておきます)に関わるコーチの悩みリストの上位に食い込むのが「保護者との関係」ではないでしょうか。私自身、アスリートの親としてコーチらといろいろ話をさせていただきましたが、親としてどこまで何をやることが好ましいのかには、とても頭を悩ませた覚えがあります。小学生から高校生のアスリートをコーチングしていた際にも、保護者の皆さんとどのように協力するのかについてはかなり気を配っていました。私個人的には、コーチがスポーツの専門家として保護者のスポーツペアレンツとしてのスキルアップを支援できるようになるとよいなと思っています。保護者の方が当該スポーツに関する知識(コーチではなくプレーヤーとしての知識)が豊富であったりする場合も少なくありません。子どもの年齢が低いほど、コーチよりも親と過ごす時間の方が長いのはごく普通のことで、保護者の考え方、その家庭の価値観、文化といった文脈が子どものスポーツに対する考え方や態度に大きく影響することになります。コーチがコーチングの場でポジティブな声がけをしていても、保護者が日常的にネガティブな声かけをしていると、スポーツ実践にも負の影響が出てくることは十分に考えられます。
ユーススポーツのコーチングにおいて、保護者との関係をどのように構築していくのかが、とても重要な課題であることに異を唱える人は、ほとんどいないことと思います。そこで、今回、コーチと保護者の関係性について執筆された論文を紹介しつつ、私の考えも織り交ぜて記事にしてみました。
今回から数回に分けて紹介する論文は次の通りです。
ユーススポーツにおけるコーチと保護者の関係を強める:調和を増進させ悩みを最小化させる
Smoll, F., Cumming, S., & Smith, R. (2011). Enhancing Coach-Parent Relationships in Youth Sports: Increasing Harmony and Minimizing Hassle. International Journal of Sports Science and Coaching, 6(1), 13-26. doi:10.1260/1747-9541.6.1.13
それでは早速、中身をみてみましょう。
序論
ユース(青少年)スポーツは世界中で社会の一部としての位置を確固たるものにし、多くの人の人生に影響を与えている。アメリカ合衆国においてはリトルリーグ野球やサッカーなどの組織的スポーツに参加している6〜18歳の若者が6,300万人もいる。学校スポーツに参加している者は750万人(男性440万人、女性310万人)にのぼる。スポーツのプログラムがより高度に組織化されてきたのに合わせて、保護者の関わりが増え、スポーツ科学者からも注目されるようになってきた。保護者は子どもがどのようにスポーツに関わるかに影響を与えるだけでなく、結果として生ずる心理学的影響にも多大なるインパクトを与える。
多くの保護者は協力的な努力を通して、子どもたちのスポーツ経験に対する建設的な貢献者として機能している。しかし、不幸なことに、小さな規模ではあるが、ネガティブな影響を与えてしまうことも明白である。次に示したのはマスメディアが報道した保護者が関わる犯罪暴力行為の極端な例だ。
・マサチューセッツ州で、ホッケーの練習後に、実戦練習でのラフプレーに怒った父親に殴られてコーチが無意識となり亡くなってしまった。この父親は過失致死罪で有罪判決を受けた。
・フィラデルフィア地域の少年フットボールの試合で、プレーヤーの父親が息子のプレー時間について話しているときに357マグナム銃を振り回した。
・ニューヨーク州のロングアイランドで、ゲーム日の指示を送るためのチームの電子メールリストから漏れてしまっていたことに腹をたて、金属の折りたたみ椅子を娘のコーチの顔に投げつけて逮捕された。その女性は第2次の無謀な危険で起訴された。
アスレティック・トライアングル
コーチ・保護者・アスリートトライアングルは「アスレティック・トライアングル」と呼ばれている。この社会的システムの構成者はお互いと複雑に関係し合っており、これらの相互作用の質が子どもの心理的発達に大きな影響を与えている。まさに、コーチは保護者の心からの心配と善意を、アスリートのスポーツ経験の価値を高めるような方向に向かわせる立場にいる。さらに保護者は、親密性、コミットメント、相補性の感覚によって定義されるコーチ−アスリート関係の質に影響を与えることができる。この論文の目的は、全ての関わる人が面倒なことに陥らないように、コーチが保護者とうまく一緒にやっていくのを支援することである。目的は1)ユーススポーツとプロフェッショナルスポーツのモデルの違い、2)健康的な勝利の哲学を含むユーススポーツの目的、3)保護者の責任と挑戦、4)保護者との効果的な双方向コミュニケーションを達成する方法、5)保護者とのスポーツミーティングを組織し実施する方法、に関する理解を促すことである。(伊藤注:今回のブログ記事では1と2を紹介します。)
スポーツにおける育成とプロフェッショナルモデル
ユーススポーツとプロフェッショナルスポーツの間に存在する違いはかなり大きい。ユーススポーツは望ましい身体的、心理社会的特徴の発達のための教育的な手段を提供する。スポーツ環境は子どもたちが後の社会で直面するであろう現実とうまくやっていく方法を学ぶ、社会の縮図とみられている。したがって、運動は教育プロセスを含む発達のための環境を提供する。
一方、プロフェッショナルスポーツは明確な商業活動である。彼らの目的は、単純にいえば、聴衆を楽しませ、お金を稼ぐことである。金銭的な成功が最も重要なことで、生産思考、すなわち勝利に大きく依存している。これは間違ったことだろうか。明らかに違う!プロフェッショナルスポーツは娯楽産業の一部であり、そのようにして全世界で大きな価値を得ている。
では何が問題なのか。ユーススポーツのネガティブな結果のほとんどは、大人が子どもの教育的な経験や楽しみであるべきところにプロフェッショナルモデルを間違えて持ち込んでしまうことによって起こっている。いわゆる、ユーススポーツの「プロ化」問題である。勝利が過度に強調されることで、若いアスリートのニーズや興味が視野から消えてしまいがちである。
ユーススポーツの目的
ユーススポーツへ参加することで多くの利益が期待できる。スポーツスキルを獲得する、健康や体力の増進といった身体的なものもあれば、リーダーシップスキルの開発、自己統制、権威への敬意、競争力、協力、スポーツマンシップ、自信といった心理的なものもある。ユーススポーツは重要な社会的活動であり、そのなかで新しい友達や知り合いができ、常に拡がっている社会的ネットワークの一部となっていく。さらに、運動への参加に保護者を巻き込むことで、家族をより親密にし、家族の一体感を強化することにつながる。最後に、もちろん、ユーススポーツは単に楽しみである(もしくはそうであるべき)。
若者のアスリートらが参加を楽しむ基本的権利を無視すべきではない。楽しみを損なわせる最も早い方法のひとつが、子どもたちをプロフェッショナルアスリートのように扱い始めることだろう。コーチや保護者は同じく、若いアスリートは大人のミニチュアではないと認識すべきだ。彼らは子どもであり、子どもとしてプレイする権利を持つ。ユーススポーツは何においてもプレイであることが重要だ。そして、若者は彼らのやり方でスポーツを実施する権利を有している。要するに、プログラムが子ども中心であるべきで、大人が支配するようなやりかたは避けなくてはならない。
勝利とは何だろうか。スポーツにおける通念では成功は勝利と同等と見なされている。しかし、「勝利が全てである」という哲学では、若いアスリートがスキルを発達させ、参加を楽しみ、社会的、心的に成長する機会を失ってしまうかもしれない。知識が豊富なコーチは、成功がゲームに勝つことと等しい、あるいは失敗が負けることと同義ではないことに気づいている。むしろ、最も重要なのは、勝とうとすることであり、そのために最大限の努力をすることである。アスリートがコントロールできることは、彼らがつぎ込む努力の量だけである。
勝利の努力志向哲学は熟達動機づけ雰囲気を構築する基本となる原則の一つである。熟達動機づけ雰囲気はスキル開発、個人とチームの成功、最大の努力、楽しさが強調される学習環境である。多くの研究が示しているのは、スポーツは他の領域と同様に、熟達達成目標と熟達動機づけ雰囲気が、アスリートに対する有益な影響を与えるということだ。自我志向のアスリートと比べて、これら高い水準の熟達志向を有する者のほうが、より高い有能感を有し、アクティビティにより大きな喜びを感じ、高い内発的動機と努力を示すと言われている。熟達志向(特に自我志向が低い場合に)は特性不安とイベント前の状態不安の低さと関係していると言われている。最後に熟達目標志向は、一貫した努力をし続ける、妨害に向き合う貫徹力、持続的なパフォーマンスの向上といった数々の適応的達成行動と関係している。自我志向性が高いレベルの達成と関係していると言われることがあるが、あまり好ましくない関係も見つかっている。たとえば、一貫した努力ができない、パフォーマンス不安を感じやすい、失敗に直面しそうなときの粘り強さの欠如や撤退、スポーツ参加に対する内発的動機の低下、勝つためのごまかしやルール違反に対する意欲などである。
「勝利が全てではない」という概念は多くの若いアスリートによって共有されている。最近行われた若いバスケットボールプレーヤーを対象としたシーズン全体にわたる研究において、アスリートがスポーツ経験をどのように評価し楽しんだかは、チームの勝敗記録よりも彼らのコーチによって作り出された動機づけ雰囲気に、より深く関係していたという。どのような競技レベルであっても、彼らが卓越に向かって最善の努力をしているのに、彼らが「敗者」であると教えるべきではない。この概念はコーチだけでなく保護者にもあてはまる。実際には、保護者がこの意味をしっかりと理解することのほうが重要だろう。保護者は運動分野だけでなく、子どもの生活のあらゆるところに適用可能だからだ。
若いアスリートが達成を求めることの目的についてはどうだろうか。ミシガン州の10万人以上のユーススポーツ参加者を対象とした調査で、若いアスリートは次に示すような理由でスポーツに参加していたことが報告されている(重要性の順に表示)。a)楽しむ、b)スキルの向上と新しいスキルの学習、c)ドキドキ感、ワクワク感、d)友達といることや新しい友達を作ること、e)成功や勝利、がそれだ。約8,000人の少年少女を対象とした全国規模の調査から得られたレポートでは、学校スポーツでない活動や学校対抗スポーツに参加する理由の10傑にこれらの項目が入っていた。コーチは、シーズンの目標設定をする際に、これらのことを考慮するとよいだろう。さらに、コーチはこれらのアウトカムがスポーツに参加するだけで自動的に得られるものだと思わないほうがよい。コーチ、保護者、管理者らがチームとして共通のゴールに向かってともに努力をしていく必要がある。ともに働くことで、誤解や問題が発生する機会を減らすことができ、目標達成がしやすくなる。こう考えると、保護者をユーススポーツにおける育児責任の一部として巻き込むことが奨励される。
今日紹介した部分は、5部構成で書かれている論文の最初の2つ(スポーツにおける育成とプロフェッショナルモデル、ユーススポーツの目的)でした。おそらく、日本においても同様のことが言えるのではないかと思います。勝利を求めることをどう扱うかというところは、コーチ研修などでもかなり議論の的になるところです。
「スポーツ環境は子どもやユースが後の社会で直面するであろう現実とうまくやっていく方法を学ぶ、社会の縮図とみられている。」という部分については、私の考え方とは少々ちがっていると感じたところです。たいして重要ではないかもしれませんが。何年か前、大学生に話をするとき「社会に出たら」という言い方をしていることに自分で違和感を感じ、今では「大学を卒業した後」という言い方をするように心がけています。実は昨晩、「社会・・・」と言いかけて「卒業後」と言い直しました。教育やスポーツの場は社会そのものであって、子どもたちを社会の外にいるものとして扱っている気がしてのことです。子どもであったとしても最初から社会の一員として扱っていく態度が必要で、大学の外と中を分けないように学生たちに対応しようと思っていることもあり、少々気になったところでした。
次回(明日かどうかは不明ですが)は、3)保護者の責任と挑戦、4)保護者との効果的な双方向コミュニケーションを達成する方法、について紹介したいと思っています。(伊藤雅充)■
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